「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

そのままを書かないということ。

悲しい時は、悲しい曲を聴くとすぐ立ち直れるそう。

 

このブログは「1000記事書いたら奇跡が起きるよ!」と言われて、なにそれ面白そう、とそのころ「成功」とか「発展」とか「成長」とか「自己実現」とかそんな単語に浸かりきっていてくたびれた自分が飛びついて始めたもの。

 

さっきの記事で373記事目、この記事は374記事目。

 

しっかり書いたものは今でもアクセスが一日に60~200件くらいまでいくし、そのなかから本も売れたりする。

 

ここ数ヶ月は、真面目に書くことを放棄して、百パーセント自分の気持ちのまま吐露するような記事ばかりを書いていたので、すっかりアクセス数も落ち着いて、毎日100件、ほとんどが検索流入で過去の記事、40人くらいのひとが毎日何の気無しに最新記事を読んでくれる、みたいな感じ。

 

事業をはじめることになった今も、カラーセラピーのお仕事が順調な今も、特に自分を売り出すためにこのブログで記事を書こうという意識はもうない、というのが本音。

 

少し前に家族に、あまりにも目に見えない気持ちの話を書きすぎて「頭がいっちゃっている」と笑いながら叱ってもらったこともあり、真面目に書き始めようとトライし直しているのがここ最近。

 

だけど、気持ちのままに書くことから、この「文章」にすんなり移れるわけもなく、ブログの下書きを書いては消し書いては消し。

 

消したデータはもうすぐ20くらいになる。

 

20、それぞれ2000字程度書いているわけだから、20×2000で、40000字だ。軽く卒論の二倍かーと思うと何だかなーという感じである。

 

4万字の考え事は、どこに行ったんだろう。

 

ブログの記事、つまり1000記事更新するまでの軌跡になることなく消され、パソコンのゴミ箱のなかにあるそのデータたちは、わたしのなかの明確な基準ではない「なんとなく出しても良さそう」「書いたら誰かを不安にさせそう」の二つの基準からブログの記事には慣れなかった。

 

その分の考え事、感じたことの整理は、記事として言語化した時点で終わっているかというとそうではない。

 

ブログにすると、あとでときどき読み返す。

一日一日が濃すぎて、一週間前に何をしてたか思い出せなくなった時とかに読んで、そうだったこんなことを考えていた、と思い出す。

 

そのとき言われたことに対して、今の自分は別の考え事を持ったりする。

 

わたしにとってはどの言語化もクオリティ的に大差なく、そのどれもが「お仕事」としてブログを書いていないので、本当に大勢のひとが読んでくれて考え事をしてくれたのをバックしてくれたり、気に入ってくれてお仕事をくれたりする、そういう窓口みたいな、そんなもので。

 

でもなんだか、でも、こんなこと言ったって仕方ないけど、ありのままをつらつら書いて、それを素敵だと言われるのは気持ちよかったんだ~。

 

だって嘘がないし、合理的にしようという考え方もなかったから。

 

でも、それが大切なひとたちを不安にさせたり、もしかしたら力になってくれるひとを遠ざけたりしたんだったら、やっぱりそれは違うのかなぁ、今すべきことじゃないのかもなって思ってがまん。

 

がまんです。

 

もう少ししたら、また気持ちよくいろいろなことを書けるようになるかもしれない。今はこれでいい。

 

今の自分が大切な物を大切に、無理はしない。

 

みんなと自分の真ん中の点を取ってみることも、いいことかも。

 

ああでも、やっぱり、気持ちのまま書くのは気持ちよかったなぁ。

 

せつない気分。

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