「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

自分のなかに反応する種がなければ、何を言われても気にならない。

 

いそがしく、たのしい毎日のなかで、ふと、今の自分のことを昔の自分が見たらなんて思うかなと考える。

 

3歳の自分は、喜ぶだろう。

だって、ごっこ遊びのまま大人になっているから。

 

5歳の自分も、喜ぶね。

だって、大好きなピアノを弾くとみんな喜んでくれるから。

(お給料までもらえちゃうなんてびっくりするだろか。)

 

7歳の自分は、どうだろう。

きっと、不思議な気持ちになるだろう。

大人って完璧じゃないって知らなかったから。

 

10歳の自分は、戸惑うかな。

大人になった自分を100パーセント「好き」とは言えないだろうね。ちょっとごめん、と思う。

 

12歳の自分は、泣いちゃうかな。

そんなに生きるの面白いって思えるなら、もうちょっと頑張ってみるかと、喜んでくれるはずね。

 

14歳の自分は?

相変わらず、いろいろと考え込んでしまうだろうね。

でも、大丈夫。

 

17歳の自分は、大はしゃぎかな。

沖縄で暮らしてんの!?すげーーってなるね。

大学も、目指していたラインよりずっと簡単だから、受験勉強手を抜き始めるかもしれん。笑

(手を抜いたら受からないんだから、だめよ、本気でやらないと、としかりたくなるよ。)

 

20歳の自分は、ただ呆然とするだろうね。

あまりにもたくさんのことが起こりすぎているもんね。

でも、大丈夫だよと、教えてあげたい気もするけれど。

 

21歳の自分は少しホッとするだろうね。

今が苦しくても、そのひとつひとつの「苦しい」に向き合い続けて、誰かの役に立っている、立とうとする自分が見えるのだから。

 

誰かからもらう言葉は、どこかの時点の自分の言葉に聞こえる。

そして、自分のなかにない言葉や思想、感情は、ぶつけられてもびっくりするばかりで、特に何の感情もわいてこないもの。

だから、何か反応して、ましてや考えてしまうような言葉には、自分のなかに反応する種があるということ。

 

少し前におじさんに教えてもらったことを書いたけれど、あ、この記事ね。

 

www.pidakaparuna.space

 

 

その「肯定すること」というのを人にするというのは、あわせて自分をも肯定してくれるんだねきっと。

 

それってちょっと面白い。

 

誰かをゆるすことは、自分をゆるすこと。

自分をゆるすことは、誰かをゆるすこと。

 

たとえば、今のわたしは、少し前に夢中になっていたラートと距離があって、そんな自分を少し責めてる。

「なんでどっちもできないの」と責めてる。

 

だから、体操部のことでなにかあると「ああほら、頑張らないからだよ」とさらに責めたくなる。

 

でもさ、違うよね。

ずっと体操部にいられるわけじゃない。

 

だとしたら、下の後輩たちが育つ機会を奪っちゃダメだ。

 

他にもいろいろある。

 

それら全てに意味はあって、そして、今の自分が一番心惹かれるものには、やっぱりそれだけの意味がある。

 

だから、今は、「今」やりたいことを頑張れたらいいなって思う。

 

それは、やっぱり、今しかできないことだと思うから。

 

もちろんバランスは取らないといけないのかもしれないし、もう少し今のペースに慣れたら余裕も生まれてくるだろうから。今は一日一日の仕事と、講義とになれるので精一杯。体力にも頭の力にも限界があるから、夜はぐっすり眠ってしまう。

 

まだ、他のことに手をのばせる余裕はない。

1、2、3月の落ち込み方を思い出したら、今これだけ気持ちが明るく、いろいろなひととつながりながら生活できている自分は十分よくやってると思う。

ハードルを下げるのはいかがなものか、という意見もあるかもしれないし、他にもいろいろな批判はあるだろうけれど、それでも自分の人生だから。

失敗してひとに迷惑をかけ、そのひとたちが離れて行ったり、うまくいかなくて迷惑をかけて苦しい気持ちになったとしても、結局自分の体があって、健康な精神がないことには、何もできない。

 

まずは、ちゃんと体と気持ちを整えないとだよね。

そのためには我慢我慢我慢の毎日ではなく、ひとつひとつ自分を大切にして、ひとつひとつ目の前の仕事をやりきることだと、そう思う。

 

今は、今よく遊ぶ子どもたちがわたしに言う「あっち」「こっち」「そっち」って、「あっちに連れてって」「こっちに行きたいの」「そっちは嫌」って、そういう移り変わりの激しさと一種の頑固さで、今やりたいことをやりきりたい。

 

今日はそんなことを考えるきっかけになった出来事があったのでした。

うまくいえないけど、そういう日でした。

 

そして、そんな一日を送れるのはやっぱり自分ひとりの力では到底無理で、いろんなひとの優しさやすごさに思いをはせたり。

 

前に書いた記事で本が売れ続けてるのもありがたい。

アマゾンで何を買おうかウキウキしています。てへへ。

どうもありがとう。

 

お金のこととか、気持ちのこととか、お仕事のこととか、いっぱい記事にしたいことはあるから、それもちょっとずつかけたらいいな。

誰かのためにではなく、自分の整理のために。

 

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集中して何かに取り組む楽しさを教えてくれる場所が、その都度目の前に現れる、それってすごく、恵まれているよね。

これから先もきっとそう。

そして、それには意味があるんだよね、重なって初めて見えることも、あるんだろうね。

だから、安心して進めばいいんだよ。