「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「大丈夫じゃない」って言わなきゃいけなかったんだよね。

 

誕生日がもうすぐなんですよね。

でね、誕生日前っていつも考え込んでしまいます。
いやあほだな~って思うんだけど、まあ今日の話、あほだなぁ、な話なんですけどね。


なんで生まれてきたんだろう?
どうしてここにいるんだろう?


それをこんこんと考え続けてしまう。

そんな季節なんです。

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今年ももれずに、2月の10日前後から、この誕生日前まで、ずっとそういうような考え事がいつもありました。

でも、「もうそんなこと考える時期は終わったぜ!」「楽しく生きるんだぜ!」みたいなこと考えてたから、向き合わないで目をそらしてたら、なんか日常生活(仕事・ラート・読書・・・えとせとら)さまざまな部分ができなくなり、とうとう3週間も寝込みました。


当然、手持ちのものは全部ストップしちゃったので、ああもう沖縄ではお仕事できないかもなぁってがっくりきてます。

仕方ないか…と思いながら、カラーセラピーをご依頼くださる方と、あとは数人の心許せるひとたちと会う日々が続きました。


それでね、今、わかったことがあって。


一番根本にあった自分からの声を無視したから、自分が拗ねてしまったんだなぁと。


カラーセラピーでお会いしたお客さんにはたびたびお伝えしているのが、インナーチャイルドという考え方。

一般的にはこう定義されています。

「インナーチャイルド」とは、「内なる子供」と訳されますが、具体的には子供時代の頃の記憶や心情、感傷の事を指します。

インナーチャイルドの基礎知識

 

私の解釈は、「自分のなかにいる小さな自分」そのままだけど、そのままですね。

あ、もしインナーチャイルドに興味があったらこのあたりの記事がいいかも。

 

www.pidakaparuna.space

 


なんていうかね。

そのままの自分です。


何も制約を受けていない、そのままの自分。

3歳くらいかなぁと、思います。


生まれて、自分と他者との境界線が「体」にあると知って、そしてそこから自分と社会という構図をつくりだし、生きてきた自分。

それを始めたばかりの自分。

期待した経験も裏切られた経験もない、そのままの自分。


人づてに、母が私について「あの子は大丈夫かしら?」と言ったことを知りました。


その一言で、なんだかもう片付いたはずの箱が空いてしまって、いや本当はその2月のシーズンから今まででゆっくりその箱を眺めていたから、ただのきっかけに過ぎなかったわけですが。

あけちゃったんですよねぇ。

 

ああこんなに人を嫌って人を憎んで生きてきたんだったっけか、と。

自分にびっくりしました。


私がひょうきんなのは、みんなが笑うと嬉しいから。

天然と言われることもあるけれど、まったく天然ではないんですよねぇ。

注意力散漫ではあるけどね。


そうじゃなきゃやってらんなかった時期があるから。


でもそれをいちいち人に認めてほしいなんてさらさら思ってなくて、大好きなひとたちのなかで気軽に笑わせて笑われてみんなと過ごす自分が大好きで、今の自分を気に入っていて。


ただそのルーツがそこにあるのを忘れていたというか、なんていうのかなぁ。


「あの子は大丈夫かしら」

どんな気持ちで言った一言か知らないし、そんな一言でこんなに感情が揺れるだなんてあほみたいだなと思うんだけど。

びっくりしたなぁ。


もう、解決したと思っていて。

もう、終わったことだと思っていて。


びっくりしたなぁ。


最近嫌いだと思ったひとの言動も、全部その根本にある母との関係だったと気づいたときはびっくりしました。


被害者意識満載な書き方してるけど、私は同時に同じ量だけの加害者でもあって。


でもそんなん全部「昔のことだからもういいよ」って言ってくれたひとたちと生きてて、そのひとたちに出会えただけで沖縄に来れてよかったなぁって。


こんな風な形で自分の気持ちを吐露するなんて、あんまりいいことじゃないなと思うんだけど。


つらかったんだよなぁずっと。
我慢してたんだよなぁ。

小学生ぐらいの時からいろんな方法で、「もう無理だー」を伝えてたけど、うまくいかんかったもんなぁ。

でも、自分のせいだ、もすごく強くて、どうにもならんくて。

家を出て、さらに居場所をなくし、なんでこんなことになっちゃったんだろうと途方に暮れながら愛知で暮らさせてもらって。


やや呆然としたまま、大学生になって。
すごいなと思う金額の投資をしてもらって今の自分がいて、すごいなと思うほどたくさんのお願いごとをおじいちゃんたちは叶えてくれて。

20歳で成人を迎えたときに、「もうやめよう」と思って、母に七年ぶりに会いに行って。

七年って私の人生の3分の1だったんですよね。


で、そのときも「大丈夫」と伝えて、謝りあって、お礼を言いあって、いい感じ~にその場は終わって。

小さいころの自分の写真を見せてもらったり、みんなの様子を知ったり。


でも、そのね、数日前に知った「あの子は大丈夫かしら」に、涙が出てね、今更ね。


大丈夫じゃなかったんだーと

全然大丈夫なんかじゃなかったんだーと

ずっと大丈夫なんかじゃあなかったんだーって


君みたいにわかりやすいと助かるよねって笑いながら言ってくれたひとがいたんだけど、いや本当にわかりやすいのに、でもお互い余裕がなくて、お互いの「大丈夫じゃないんだ」に気づかないまま年を重ねてしまったんだよね。

 

大丈夫じゃなかったんだよね。
全然、大丈夫じゃなかった。


あのときも、あのときも、あのときだって、大丈夫と大人に言いながら、大丈夫じゃなかったんだよなぁ。

呆然として、もうどうしたらいいかわからなかったんだよなぁ。


自分の枠を超えちゃった出来事ばかりで、でも自分でどうにかしないとと思って、でもできなくてパンクしてさらに迷惑かけちゃって。


こないだ叔父に「大丈夫じゃないならちゃんとっそう言わないと」って、笑いながら怒られて。

叔父は今の自分にとっていい感じのメンターであり、わりとメシア!って感じのひとなんですけど(厳しいんだけどね)

なんかホッとしちゃって、大好きなBBコーヒーの外のベンチでわりと泣きました。


「大丈夫じゃない」って、これからは言える気がします。

っていうか言わないとね。
言わないとだめだったね。


あのとき言えなかった「大丈夫じゃない」に気づかせてくれてありがとう。


あのときも、あのときも。

そして今も。

私は大丈夫なんかじゃなくて、でもだからこそ「大丈夫」ということを知れる。


いつも、いつも誰かが助けてくれたなぁ。

あのときも、あのときも。

そして今だって。


「大丈夫じゃない」が言えなかった自分を、みんな助けてきてくれたなぁ。

本当はみんな知ってたのかもしれないなぁ。


ゆるせていないひとが、憎んでしまうひとがいっぱいいる自分のこと受け入れよう。

大丈夫じゃなかった弱いてんてこまいだった自分を。

たくさんたくさんひねくれてひとを傷つけちゃった自分のことを。


大丈夫だ。

ちょっとひとつ、終わった気がする。


来年の誕生日前は何を考えてるかな。
もすこし、生きることを楽しめてるといいね。


生まれてきてくれてありがとう。

生んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

出会ってくれてありがとう。


ありがとうだらけで気持ち悪い?

でもありがとう。


は~~~~~。

なんか軽くなった!

読んでくださってありがとう。
ごめんね、こんなん読ませて、とちょっと思うんだけど、でも、ほんと。

そんな感じです。


大丈夫じゃないってちゃんと言いたいひとに言わないと、くさるよ!笑

という話でした、わはは。


もう、大丈夫だーーーーーーーーーー!!!

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