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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

私にとっての「生きる」ということは、


人に思いを伝える

言葉、文章、写真、絵、像、踊り、歌


なんでもいい

人に思いを伝える

 

伝える前にはなかった動きがそこに生まれる

 

考えたことを発信する

誰かが読む

誰にも読まれない?

いや、このご時世やっぱり誰かしらが読む

 

読んだ誰かの中に何かが少しだけのこる

 

伝える

伝わる

伝えられる

伝わる

 

今、私が言いたいことが、今の私が言いたいことなのか、それとも目の前の相手に言わされたことなのか

その区別って、はっきりしているようで曖昧だ


今までの経験から、私の言葉がある

今まで生きてきた経験分、相手の言葉がある


私が見ているそれと、あながたみているそれ


同じものを見ているようでまるで色が違う


だから、伝える

 

伝えることの大切さを、私は人と話して思い知る

 

書いて、世に出す

歌って、世に出す

喋って、世に出す


方法は自分に合った方法でいい


でも、たぶん、きっと

出すか、出さないかはとても大切な違い

 

「生きたい世界」があるのなら、諦めてはだめだ、と思う


「生きたい世界」があるのなら、それが見えるまで、どんなペースでもいいから歩めばいいと思う


あなたが、私が、この場所に生きている理由は、その理由は簡単で、「あなた」と「私」にしか見ることのできない景色を見るためだ


それを知ってる人が今は大勢いる


知らないでも、みんな実は自分の好きなように生きている

その「好き」が意識された好きか、そうではないかの違いだけだ


引き寄せの法則は、それを願う瞬間に発動するのではなく、一瞬の絶え間もなく発動し続けてるのだと思う


でも、それとはまったく違う軸で、この星全体の動きとしての出来事も積み重なる


それが天災であったり、人災であったり「災い」とされるものなんだと思う


でもそれさえも、意味なんてなくて、ないようであって、ただただ「生きる」ことでしかそこに色をつけることはできない


誰かのせいにして自分の人生を捨ててしまうことなんか簡単で

何かのせいにして自分の生きる場所を選ばないことなんて簡単で


だからこそ、私は「生きたい世界」を追求する人に心惹かれ、心躍り、そしてそのひとたちと生きていきたいと志新に、また自分と向き合う毎日を送っているのだと思う


意味なんてない

意味なんてない


意味なんてないけど、生きている

 

生きていることに意味がある


歩き続けることに、歩きをやめることに


ただ存在することに意味がある

 

大丈夫なんだよね


全部が、失敗してもうまくいっても、最後にはうまくいくようにできてる


大丈夫と人に伝えるたび、それを思い知る


だから今日も、明日も、昨日も、明後日も


私は、だれが読んでるかわからない、目の前のひとが聞いているかもわからない、そんな話をだれかにする


だれかのなかに、何かが少し入る


その少しが、私の生きたい世界をつくる

その少しが、私を生きたい世界へと連れて行ってくれる

 

勝手にひとりぼっちになっている場合じゃないんだ

勝手に拗ねてる場合じゃないんだ

 

生きることって本当は、本当は大きい喜びなんだと思う

そこに戻っていくだけ、それを思い出していくだけなんじゃないかと、そう思う