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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

自分を生きるひとは軽い

 

最近、出会ったその瞬間から仲良くなれるひと、というのに出会うことが増えた

本当に増えた

おそろしく増えた

そんな経験をしたことはありますか?
きっと誰もがある経験な気がする

「え・・・前世?」
みたいな

目に見えないつながりを感じるそんな感じの

あやしいか


その出会いっていうのは自分ひとりでは引き起こせないもの

あのときのあれがあーしてこーして積み重なってしかもそれ×(かける)その場にいる人数分集まってできる奇跡

そしてその舞台である土地、環境が整っている奇跡

かけあわせたらどれだけの確立になるのか、少し鳥肌が立つ

 

かといって、そんな奇跡的に一度できたご縁でも、握りしめていると腐る

ずっと同じでいることは無理だということをあきらめる

そうするとすんなり今この瞬間を共有できていることが喜べるような気がする

気持ちが離れている時期は離れていることを感じながらそれなりにお互いを思いあえればいい

もしもう一度気持ちが触れ合い近づくタイミングが来るのなら、それほど嬉しいことはない


ようするに重たくないのだ 

www.pidakaparuna.space

 

この記事に少し書いたけれども、加えて、自分を生きていないひとというのはとてつもなく重い

自分を押し殺して我慢して我慢して我慢して生きているひとはそれを人に重ね人に求める


気つかってるのかな?
こんなこと考えてるのかな?
本当は迷惑かな?

ずっとそれを考えていて、それは顔にもろに出てることに気づいてない、なんなら何か匂いすら感じるレベル


自分を生きてるひとは軽い

自分が自分の価値観に沿って生きているので、相手もおそらくそうだろうという意味もわからないけれどそういった確信がある

 

つまり迷惑だったら迷惑だと言ってくるだろうし、嫌いだったら離れるだろうし、好きだから今一緒にいるんだろう、という気持ちの在り方がそこにある

 

よもや目の前の人間がカレーが嫌いなのに自分に嫌われたくないがために我慢してカレーを食べているなんてそんな状況は想像してない


人を好きになり、人を嫌いになる

その自分を許しているから、人に好かれ嫌われることを受け入れている

自分を生きているひとは軽い


いつもいつも自分の気持ちを殺していると、気づけば、相手もそれをしているだろうという推測のもと生きるようになる

被害妄想は募り勝手に爆発する


ばかおっしゃい


ひとを大事にする前に自分を大事にしないと、ひとを大事になんかできない

ひとの顔色うかがう前に、自分のご機嫌確かめないと、人に好かれることなんかない
(厳密にいうと、人に好かれる自分を信じられるわけがない、という意味)


本当に、半年前の自分に言ってやりたい
「ばかおっしゃい」

まあみんなが教えてくれて、自分を生きるを実践してみて、それで今の自分があるんだけどね

もっともっと極められるし、究めないとやりたいことは実現できないので、もっともっと究めようと思う

精進あるのみ~

生きてるだけで精進しちゃうんだけどね


感情も現実も全部がヒントだもんね

変わるか変わらないかはそのひとにゆだねられてる

いつだって

本当にいつだってひとは変われる

だから本当に大丈夫だよ、ぜったい大丈夫


愛はいつでもどこでも誰にでも

どんな顔でも体でも生き様でもトラウマあってもなんでもかんでも

ちゃんと安心して生きてくことはできるようになってる

(ような気がしてる)


でもまだ「ような気がしてる」レベルなので、やっぱりもっと人体実験して、いっぱい積み重ねて、それからやっぱりそうだよね、みんな大丈夫だねって話ができるようなひとになりたい

そうすることでできることがいっぱいある


だからやっぱり

明日も明日とていっぱい自分を生きてみる

そのなかで奇跡みたいな出会いを経験しながら

生きてみる


ありがと!幸あれ!おやすみ~~

 

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