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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

ブログを書く目的がやっとわかった(中編)

 

さっき書いた記事の続きです。

www.pidakaparuna.space

 

これと、今回の記事を合わせると、ひとまず「0→1000」というこのブログを私が続ける意味がわかる、というわけです。

 

先ほど書いたように、デザインをいじる作業に夢中になっているときにこの「ブログをする意味」に気づきました。

というか、無意味じゃないかと思っていた自分がいることにも今まであんまり気づいていなかったんですけどね。

 

だいたい「自分で決めた」ブログを続ける意味がわからないって不思議な状態。

 

で、これ、よくよく考えるとブログのことだけではなかったというのが最大の気づき。

今日何を食べるか、何時に寝て、明日何時に起きて、それから何をするか。

それら全ても本当は自分自身で選択していること。

それと同じで、長期間の予定についても、決めて生きていくのは自分。

 

なのに、どこかに「今のこの生活は自分がしたくてしたものじゃない」そういう思いがあることに気づきました。

そして同時に「こんな生活続けてたってうまくいくはずない」という思いにも。

 

これ、ブログの考え事とまんま一緒。

「今、このブログは書きたくて書いてるわけじゃない」

そして、「こんなブログ続けてたって意味ない」

 

だって、別に私は有名でもない、あのひとやあのひとのようにセンスがあるわけでも、上手な文章が書けるわけでもない。記事数だけ増えてプレビュー数が増えるわけでもない。ラートの仕事が増えるわけでもない。カラーセラピーの仕事が増えるわけでもない。記事数に比例して何か自信がつくわけでもない、能力もさほど伸びない。

 

生活にしてもそう。

今の暮らしを続けていても何にもならない。特段何か能力がついているわけでもなく、お金を稼ぐのが上手なわけでもない。目標もないし、目的もない。ものすごくやりたいこともわからない。毎日のなかの手に入れられる楽しさだけを手に入れて、面白いものに「参加」しているだけ。

 

そんな気持ちが「ブログを書く意味がわからない」と改めて立ち止まった瞬間に湧き出てきました。

 

わあお。

すごく情けない気持ち。

 

で、そこからなぜタイトルのブログを書く目的がやっとわかったに繋がるのか。

 

あ、ちなみに、少し前までは「わかった」気がして、「わかった」ことにしていたんです。つまりこんな風に考えていました。

 

ブログを書いてる理由? そんなの書きたいからに決まってるじゃん! が今です。

はい、199記事目! - 0→1000

やりたいことに理由をつけていく時間がめんどくさい。 それが100→200の一番の変化かなと思います。 やりたいことはやりたい。 だからやる。 やりたいことやってたら、どんどん次のやりたいことがきちゃう。

はい、199記事目! - 0→1000

 

このときはこれで満足してたから、このときの自分を責める気持ちはないんだけど、これ、だいぶ「わからなくてもいいや」と投げ出してた気持ち。

それは、いつかわかるだろうという期待もこもっていれば、「わからない」ことに向き合うのが単純に怖かったというのもあります。どちらかというと怖かったほうが大きいかな。

わからないまま生きるって、すごく怖いから。

 

でね、何がわかったかというと、それは全部「私を表現する場所である」こと。

これがブログを書いている意味であり、そして生きている意味。

 

私は魂の存在を信じていますし、この場所に生まれてきたのは何か意味があることだと思って生きています。

そして、その理由は「身体性」にあるのではないかと最近思うんです。

 

魂だけの状態である何かであった私は触れることができない。

触れることができない、存在することが、何かを表現することができない。

それはとても寂しく怖く悲しい状態で、とても虚しかった。

 

だから「体験したくて」「表現したくて」「触れ合いたくて」生まれてきた。

たぶん。

 

ああまた長くなっちゃった。この続きは次の記事へ。