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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

わたし「が」悲しかった→わたし「も」悲しかった

二日もブログ書かなかったの久しぶり

ブログ、何のために書いてるんだっけ

の自問自答から逃れられず

そして

なんだか言葉にしたくない感情が多すぎて

 

好き、嫌いの眼鏡

そろそろ外したら?

 

と、おじいちゃんに言われたのは一昨年のこと

少しずつ外してきて

 

好きでも、嫌いでも、どっちでもいい

みんないいところもあれば、苦手もある

それでいい

そう思えるようになった最近

 

でも、いじわるなひと、ときどきいる

自分がいじわるになるときもある

 

そんなときに「ジャッジ」「裁く」ことをしないの

と、最近の師匠が言う

(最近の師匠、というか沖縄の母)

 

あのひとがこんなことした

このひとにこんなこと言われた

私悲しかった、つらかった、いやだった

 

同じように、あのひとにこんなことしてしまった

あの場面であんなこと言ってしまった

傷つけてしまった、悲しませてしまった

 

どっちの考え事も重たく、悲しい

 

「あのときこういわれた」合戦は終わることがない

揚げ足取りの連続で

それが口論ならまだいいんだけれど

SNSや、LINEとかだと、これがまたおわらない

 

その発言はこういう意図ですか?

この書き方は上から目線だ

 

あげあし、あげあし、あげあし

 

たとえばね

こないだ私はとても悲しかった

私に批判を言ってくるならまだしも

私の上にある組織にわざわざ批判を伝えられて

 

いったら

自分が好きな人たちに、嫌われたくない人たちに

自分の悪口を言われちゃってる状態なわけ

 

ちょ~やだったよね

 

で、その経験をなかなか流せない

いつも思い出すと、重たくなっちゃう

 

でもね

たぶん、そのひとも傷ついてたんだよねぇ

それもよく想像できる

 

うーん

そいで、よくよくそのまま考え事にもぐってみると

あ、そうか、となる

 

そのひとが傷ついてるのはそのひとの問題

わたしが傷ついたのはわたしの問題

 

それは、他のひとには解決できない問題

 

仕方がない、起きちゃったことは仕方ない

そんなの今までの人生でいくらでもあった

適応していくだけ

 

そんなとき、大好きな人たちにその話をして

「そっかぁ…大変だったね」

「いつも味方でいるからね」

そういってもらえるだけで、少し気持ちが強くなる

 

傷ついて悲しかったのは、わたしだけじゃない

傷ついて悲しかったのは、あなただけじゃない

 

どっちも悲しかった、きつかった

言っちゃった言葉は戻せない

送っちゃったメールは消せない

 

どっちも悲しかった

 

それでいいんだよね

でも、それでいいって心の底から思えるまでは時間かかる

 

あ~時間かかっちゃった

 

傷つけてごめんね

 

でもたぶん、もう同じことが起きても傷つかない

もう置いていくんだ、さよなら!

 

よいお年を、さよなら

そこが居心地いいんだったら

好きなだけそこにいたらいいよ

そのまま年をとればいいよって思っちゃうよね

 

 

すすも~どんどんすすも~~

 

こんなの書いたら、また師匠に怒られてしまう、かな

これで、もうおしまい

感じ切った

 

わたし「が」悲しかった

が、

わたし「も」悲しかった

に、やっとなれたから

 

悲しくさせてごめんねってちょいと思いながら

でも、好きなことやるの、喜んでくれる人が多いし

何より、それを気にしてやりたいことやらないのは、

なんかもう誰の人生だよってなるもんね

 

お~しまいっ