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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

【感想】「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を読みました。

この本を読みました、漫画です。 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

この漫画、少し前にツイッターにちょっとだけ内容が流れてて、その文章にぐっときていたんですよね。

 

この苦しみが始まった時を覚えている

今から10年前

平和で楽しかった高校を卒業し

大学を半年で退学し

気が付くと鬱と摂食障害になっていた

「所属する何か」

「毎日通う所」がなくなったことが

無性に不安だった

「所属する何か」、「毎日通う所」

=自分なのだと思っていた

自分の形を支えていたものを失って消えて

空気に溶けそうだった

---永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』pp.8-9 

 

ちょうど、「所属先」がなくなる不安について考えていた頃でした。

つづきが読みたいな~と思ったものの調べる気力もなく、放置。

 

今日、偶然手に取ったのでした。

 

自傷を繰り返し、摂食障害を患い、不安と焦燥感に襲われながら、アルバイトをし、そのアルバイトも「居場所」ではなく労働の対価としてその時間いられる場所でしかないということに気づき、親からの当たり前の社会人としての姿への期待と、それに応えられない自分を責める心。

 

病んでいく、病んでいる描写があまりに痛く、途中やや読むのが苦しかったです。

 

大きな流れとしては、「性」に目覚めることが親にかわいがってもらえる条件である「子供」を脱してしまうことに繋がるのではないかという恐怖感から解放されるまでの過程を、つまり、親の期待通りに生きるのではなく、自分の人生を生きるという決断をするまでの過程を「レズ風俗」をきっかけに変わる主人公の姿として描いてありました。

 

ただ抱っこをしてくれて、一緒にご飯をたべてくれる、あたたかい居場所がほしいだけなのに、どうしたらそれを手に入れられるかわからず性へ逃げる女性の姿も同時に紹介されるのですが、これもなぁと思いながら読んで。

 

「パートナー」や「付き合う」ということに関しての考え事をするとどうしても、結局はこの「抱っこしてくれるひと」つまつまつまり、肯定してくれるひとを求めているだけだなぁというところにいきつきます。

性はまだまだおまけ。今年はいろいろと嫌なことが起きたおかげで、今はどちらかというとしたくない。時々癇癪を起して、途中で泣けちゃったりするぐらいです。あほ。

 

でも、まだ今はその「肯定してくれるひと」を求めてしまう段階でも別にいい、とこの本を読んで改めて思えたなぁ。

よんなーよんなー(ゆっくりゆっくり)でも、変わっていける。

まず最初にすることは、今の自分がなにを考えていてどう感じているかしっかりと観察し、どちらの方向に行きたいのかを見定めること。見定めている間はなかなか成長という成長はできないので、やっぱり一つの居場所として「肯定してくれるひと」に甘えることになります。

その「肯定」は、はたから見れば共依存。今ありのまま肯定し、叱ったり笑ったりしてくれる沖縄のひとは、大学一年の頃から、くっついたり離れたりしてるもんね。今はくっついてる。でも、居心地いい。

きっと、離れなきゃいけないタイミングで離れなきゃいけない。でも、そんなタイミングこないかもしれない、そんなことはわからない。

 

そう、だからね、何が言いたいかというと、いいんだなぁ~ということ。

それこそ「風俗」でもいい。

うん。

いいんだよなぁ。

 

まずは自分を整えること。愛して、大切にして、生きている人生を実感すること。

そして、「変わりたい」と正直に向き合い、そのために今までのパターンを崩すこと。

 

私は今、その「肯定」をくれるひとと一緒にいることを、しっかり味わいたいし、他にもそういう愛情をくれているひとにありがとうを言いつつ、この居場所で経験値をため、やがて外に出ていく。「肯定」をくれるひとのことをわざわざ悩みの種につかわない、問題にしない。

 

うまくいえないけど、それが今までのパターンを崩すことだったりします。

 

もしよかったら読んでみてくださいね。

いろんな切り取り方ができる、いろんな共感の仕方ができる、いろんなこと思い出す漫画でした。

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ