「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「好きなことで食っていく」は「好きなことだけして食っていく」という意味ではない。

がっかりされるのには慣れないなと思いながら、いろんなひとの反応を受け取り終わり、結局「がっかりした」という言葉に反応しているということは、私が私にがっかりしているのと同じことだとわかったのが今日の夜。

何度も期待してもらって、何度も期待を裏切って、今回の大会もそうだった。
面と向かって言われちゃうと「期待されてるから」とも思えず、やや落ち込み。

今回の大会に対しての「がっかり」はいろいろな方面から頂いて、おやまあというか、あらまあというか、どうしようかなぁと。

だって自分でも自分の結果にがっかりしてるし、情けない気持ちもあるし。でも、一番やりたかったベグゼルという技はできて、すっごい嬉しい経験でもあったのよ、というのもわかってもらえてるうえで「がっかり」させてる。それって期待で。「いやもっとできるだろやらんかい」という励ましで。それが嬉しくないかと言われると嬉しいから複雑な気持ち。

で、なんでこんなに気持ちが忙しかったかというと、ラートについては「お仕事」と競技」と「居場所」という三つの層、考え事の層があるのに、それを無視して「ラート」として考えようとしていたせい。まず、お仕事の話が今回の大会で本当にすっきりした。

ラート一本で食っていきたいんです!!!、というような気持ちを、去年のMovement2015というイベント後にはかなり思っていたけれど、ぢんさんの講演会を経て、いろいろな気持ちの変化がありました。
そう、この「好きなことで食っていく」というのは高校生のころから考えていたことで、そんなときに叔父に「好きなことを仕事にする覚悟がお前にあるとは思えない」という言葉をもらったのを思い出しました。ちなみに、あの頃は編集の仕事がやってみたかった。例として叔父が出してくれた状況は「お前が出した記事を出しても出しても目の前で捨てられる、罵倒される、それでもやり続けられるか?出し続けられるか?」というもの。そのときはまだ高校二年生で、ペンションで住み込みの仕事をしたぐらいで特に経験もなく「できるもん」と言い返した。今なら、「で・・・できない」と言い返します。絶対無理、そんな職場すぐにやめて、別のところで働きます。

「好きなことで食っていく」にフォーカスして過ごした今年、楽をしようとして痛い目を見て、では他にどんなアプローチがあるだろうかと考えてブログ=発信&ブランディングをはじめ、琉大祭で新しい演技に挑戦してみたり、カラーセラピーでお金を頂いてみたり。面白い経験をたくさんしました。

でも、なんだかしっくりきていなかった。
それの理由は「好きなことで食っていく」と「好きなことだけで食っていく」の違いを理解していなかった点にあります。

これに気付いた一番のきっかけは今年のインカレ前にひどい捻挫をしたこと、今回の大会前にラートがうまくいかなかったときにお仕事がすごく楽しかったこと。そして「不労所得ってただ働かずにもらえるお金という意味だけではなく、本当に好きなことでお金いただくと、働いてるって思わない、つらいって思わないから、それも不労所得だよね」という考え方を習ったのもそう。あ、あとこないだ師匠に言われた「20代の間は好き・嫌い関係なく、たくさん経験しなさい」と言われたことも大きく関係してる。

ずっと「好きなことで食っていく」と「好きなことだけで食っていく」の違いに気づけなかったのは、こうあるべきだ!という理想像の強さが原因。

ひとつのことに没頭して、打ち込んで、そこで結果を出していく、それも素晴らしくかっこいいこと。その姿に勇気づけられるし、有言実行を繰り返すひとは本当に強いし素敵。
それに憧れてでもできなくて自分のことが嫌いでした。
がっかりされて、自分にがっかりして、だからまたがっかりさせての繰り返し。

でも、私はもともとそういうタイプではない。
ただそれだけのこと。
何か一つの目標だけに向かって長期間走り続けられない。
ただそれだけのこと。
でも、ラートがない生活に耐えられる自分でもない。
ただそれだけのこと。どういうことかというと。

やっと、「好きなことで食っていけなくてもいい」が腑に落ちた、理解できた、という話でした。

だって、ライターさんの助手として書き起こしをするお仕事が好きだって気づいたら、今月、そのお仕事のお給料3倍くらいいただいた(頼んでもらえる仕事量が増えた)それがすっごく嬉しくて。
そして、もうすぐ発売される雑誌でラートと一緒に写真を撮影していただけた、インタビューも一緒に。これも本当に本当に嬉しくて。

前者は「お金」としてヨロコビを形にしていただいていて、後者は「経験」としてヨロコビを形にしていただいてる。
どちらも本当の気持ち。どちらも純粋なヨロコビ。
どちらかがないと気持ちのバランスが崩れてしまう。

幸運なことに、あと7日で一つパフォーマンスの舞台に立てる。そこで2000人弱のお客さんの前でラートをして、そのときに湧いてくる感情を感じきれたら、きっと自然とわかる。

私、ラートのお仕事でお給料をもらいたいと思ってない。
もちろんもらえたらすごく嬉しい、そしてゆくゆくはすごく高い金額のお金を頂けるようになるだろうとも思う。でも、それはラートだけに打ち込んだ結果もらえるお仕事ではない。たぶん「自分」と向き合い、自分を確立していった結果の話。

つまり、「好きなことだけ」オンリーワンの何かだけで稼いでいくことが正義なわけではなく、この人生を遊びきるというのはもっと柔軟にできること。

お金をいただけるというのは、単純に役に立てている証拠と思っています。
だからもっと役に立ちたい!というどこからか湧いてくるこの奉仕欲求を満たしてくれるのはお仕事。ああしたらもっとよくなる?こうしたらもっと喜んでくれる?それをいくらでも満たせるのがお仕事。


つまつまつまり。
「ラートをやめて就職するか」「ラートのパフォーマーになるか」の二択ではないということ。
もっと広々とした世界で生きていると気づけたということ。

目に見えるお給料も、目に見えないお給料も、いっぱいもらってどんどん豊かになって、そしてその豊かさで新しい自分のお仕事をまたつくりあげていく。
そんな人生がいいなと思っています。

そんなこんなでスッキリしたんだけれど、もちろん「競技」としてのラートについて思うことはまた別。
これはまた明日。
ねむねむなので、読みかけのセーラームーンの最終巻を読んで寝ます。

セーラームーンすごくおもしろい。初めて読みました。

長くなっちゃった、読んでくださってありがとう!!!!らぶ!