「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「あ」と打てば「ありがとう」が出てくる。それで伝わることってなんだろう。-Movement 学生プレゼン部門「ignition」最終予選、比嘉麗君の話からー

 

ひとがひとと出会うとき。

そこには明確な意味があって出会うのだといつも思います。

 

ひとが文章に出会うとき。

ひとが美味しいものに出会うとき。

場所に出会うときも。

どれにも意味はあるんだけれど、特に「人との出会い」は格別な意味を持っているのではないか、より大きな影響を与える何かではないか、そう思います。

 

というか一番わかりやすいのが人との出会い。

(私がそういうタイプのようです、ということにすぎない、おそらく。)

 

なんで目の前のひと、隣の人に出会ったのか。

そのときわからなくても、時間をおいてわかるときがくる。

ベストなタイミングで、知ることができる。

それってすごく不思議で、でも面白くて。

その感覚をとても気に入っています。

 

人との出会いは、縁にも言い換えができますね。

 

そしてその縁は結べたり、ほどけたり、いろいろ。

ほどいたつもりで握りしめたままだったり。

 

でも、握りしめていると手のひらが見えていない。

だから新しい素敵な縁に出会えないことが多い。

 

力を抜いて、手のひらを見せて、全部の指にくるくると縁のひもが結ばれたりほどけたりする様子を楽しむ、が今です。

いたずらに人の手に縁を結ぶと苦労するのがわかったので、それはもうしないことにしました。だいたいひどい目に合う。

それも面白いんだけど。わはは。

 

その出会いを大切にする方法って当たり前だけど、「直接のコミュニケーション」を大切にすること。

 

昨日のMovement2016の学生プレゼン部門の最後の登壇者である「比嘉麗」君が話してくれたなかにぐっとくる言葉がありました。

 

「あ」と打てば、「ありがとう」

「ご」と打てば、「ごめんなさい」

そんな予測変換に頼るようなコミュニケーションでは、大切なことを見逃してしまう。大切なことは伝えられない。

だから僕は今こそ手紙だと思うんです。

 

そんな感じのことを言っていました。

(すぐに身近にいる手紙屋さんのことを思い出しました。彼が私にくれた手紙は今までで2通ありますが、どちらにも「出会ってくれてありがとう」と綴られていて、その素直さ、ピュアさに感動したのをよく覚えています。ぴゅあっぴゅあ!)

 

そう、それでね。

私も何回かしちゃったことがあるけれど、やっぱりLINEってただのツールにすぎないのに、それを忘れて「コミュニケーション」しちゃおうとする。

でも、たいていの場合そのコミュニケーションうまくいかない。

 

当たり前のこと。

自分の出した言葉と相手の出した言葉に、生ではない「時差」があるから。

その時差は、たとえばメールでもあるし、facebookのメッセージでもある。

もちろん手紙でも。

 

でもLINEやそれに準ずるトークアプリと、それらが違う点は、「時差」を意識しているかどうかの点にあると考えています。

 

時差があるのをつい忘れる、それこそトークアプリのいいところであり、悪いところ。

「時差」があると思えば使わない言葉がある。

 

のにね。

私の失敗はどちらかというと、時差があるのをいいことに、相手にバーッて送って自分はすっきりしちゃうとこ。

だんだんやらなくなりました。

(PDCAサイクルってやつ。2mmしか進化してないみたいだけど。)

名付けて、「うわあ気づけばLINEが緑色だ!事件」です。反省しなくちゃ。

 

何が言いたいかっていうと、やっぱり大事なのは直接のコミュニケーションだということ。

そのときの会いたいの気持ちに素直になること。

そのとき話したい気持ちに素直になること。

 

そして、それが自分だけの気持ちなら、しっかりぶつけてみたうえで、すっとあきらめて手放すこと。

だって好きなら大切にしたいもんね。

それを大切にしないと、なんだかいろいろよくわかんなくなっちゃう。

だからもっともっと大切にしよって思った、素直にね。

どんどん身軽になる日々です。

比嘉君に感謝ですね。どうもありがとう。

 

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(写真撮影は琉球大学の宮里大八先生)