「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

本を書き始めました

 

本を書き始めました。

といっても、私はどちらかというと編集、主に執筆してくれてるのは姉です。

 

出版できるか?

どのように出版するか?

は、まだよくわかりません。

 

でも、なんとなく、来年の春には形になっているような気がしています。

 

高校生の頃、離れて暮らしていた姉とまた一緒に暮らし始めた頃から、ずっと考えていたことではあります。

 

それが「パッ」と頭の中でつながって組みあがったのが数日前。

すぐにLINEで「やろうよ」と伝えました。

姉の返事も二つ返事で、「いいよ!」とのこと。

 

本当に形になれば嬉しいけれど、形になるまでの過程だけでも満たされてしまいそうだなという予感もしつつ。

(二人であーでもないこーでもないと考えるのは楽しくて。)

(もともと議論好きで、二人で暮らしていた時間では夜ごはんを食べたあと、姉が受けてきた大学の講義を題材に二人で話を深めたり、私が高校で感じたことを姉視点で分析してもらったりしてたから、その時間に少し似てる感じ。)

 

内容はどちらかというと、社会的な内容で、かつ姉がPSW(精神保健福祉士)になるための勉強をしていた内容が一つの軸になっています。

これを書くのはやや憚れますが、私も姉も、精神的な障害というのがあるよね!と中高時代でお医者さんに言われて、そっか~と思いつつ毎日暮らしてるわけです。

 

その「精神的な障害」があるというのを公にするのは、「やや憚られる」。

書くのを躊躇する要因はどこにあるんだろう、というのがもう一つの軸です。

 

とはいえ、私は精神的な障害を引き受けることにNOを出しましたから、当事者目線は持っていません。

(症状も軽く、ストレスの出し方がわからないだけだろうという結論に至り、かつ、「障害」なんて言葉ではなく、ただの「特徴」でしかないと解釈したからです。)

 

姉は私よりいろいろな症状が重たく、今も向き合っているところなので、まさに「当事者」、二人だから発信できる内容があるんじゃないか、と話しています。

 

障害の根本的な要因の話や、年齢を重ねていくことでの症状の変化。

そもそも障碍者と健常者の境目はどこにあるのか。

そして、具体的に「こういうときにはこうしてほしい」という一つのケースの提示。

逆に、「こういうときにこう思ってるよ」という二次的な当事者の話。

 

読んでくれたひとが少しでも「あ、別にこのままでいいんだ」ってほっとしてもらえる本にしたいし、当事者のそばであーでもないこーでもないともがいてるひとに「意外と放っておくといい感じですよ」が伝わったらいいと思うし。

自分たちが一番不安定だった中高生のときに本当はどうしたかったのか、どうされたかったのかを明らかにするのって、そんなに無意味なことじゃないかもね、という思いもあって。

 

いや、意味もないのかもしれないし、わからないけど。

書きたいなら書けばいいんだ!という気持ちで、書き始めています。

 

どうなるかな~

電子書籍は自主出版できるよ!とイケダハヤトさんも言ってたので、一通りまとめたら、kindleで出そうかなと想像しています。

とりあえず申請だすところからだ。

できたら紙がいいけれど。

形にできたらどんなものでも嬉しい。

 

やってみようと思ったことが簡単にやってみることができる世の中に生まれてツイてたな~と思う毎日です。

(でも大学卒業がやっぱり難しそうで、いやーやりたいことやる前にやらなきゃいけないことやらないとだめでしょうと言われるのがもう予想できるんだけど、本当にごめんなさいとしか言いようがない…ごめんなさい……)

 

あ、ちなみに、三姉妹なので、妹にも何かの形でかかわってもらえたらうれしいな~。

とりあえず書き始めは二人で。

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楽しいことばかりだけじゃないだろうけど、絶対楽しいもんね、やりきろ!