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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「あなたのジェンダー観に影響を与えたメディアは何ですか?」を考えるの面白い


「あなたのジェンダー観は何によって培われたものか?」と、講義のなかで質問されました。


以前、メディアリテラシーについて整理しました。

それと同じ線上に今回の話もあります、いうならば「メディアと私の関係性」ということ。

 

講義中、幼少期、小学生時代、中学時代、高校時代、大学時代と分けて、以下の5つの質問がされます。

1.影響のあったメディア
2.そのメディアはジェンダー観に影響を与えたか
3.どのような影響があったか
4.その時期にあった社会的な現象
5.その現象はジェンダー観に影響を与えたか

(ジェンダーは、身体的な性ではなく、社会的な性、のこと。)

 

 

受講している学生ひとりひとりのストーリーも面白かった。

過去を掘り返していく中でどのようなことを感じたかを、教授から質問されていきます。

「おかあさんといっしょ」を観ていたときに、番組内に漂っている雰囲気から「女の子はこれが好きだよね、男の子はこれが好きだよね」という価値観を形成させるようなものを感じた、とか。

「ドラゴンボール」や「ワンピース」においてでてくる女の子は弱い場合が多い。(多少強くても足手まといになる、ような。)
それに比べて「仮面ライダー電王」では主人公が弱くて、強い女の子が出てくる。意外とそれもありなんだな、と思ったという感想が出ていました。


他にも、「クレヨンしんちゃん」「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」のなかに描かれている家族像、お父さんが働いてお母さんが家事・育児をする、その姿から「世間一般の家族」を覚えた、とかね。


これらの話、すごく重要だと思っていて。

この講義だと「ジェンダー観」つまり、「あなたにとって男性的・女性的と感じる・判断する要因はどのような経験からつくられたの?」という質問ですが、この質問は言い換えられます。


つまり、「今、あなたが人生において大切だと思っていることは?」でもいいし。
「あなたの選択基準はどこから?」とか。
「なぜそのワードに嫌悪感を覚えるのか?」とかね。


そして、もっと突き詰めていくと「あなたの幸せは何によって決められるのか?」という話に行き着く。


だいたいのひと、大人も学生も年下も関係なく、だいたいのひとが自分の過去を話してくれるときに「周りのひとに比べて」とか、「うちは普通の家に比べて」という枕詞がつくことが多い。
私ももれなく、自分の過去について誰かにエピソードとして話すとき、それを形容詞としてつかっていました。

でも最近、これなんなんだろう、と思い始めて。

っていうかだいたいのひとが苦しんでるのそこが要因なんじゃないのかと思い始めて。


本当は比べられる「ひと」という対象なんてないんですよね。

「普通の家」もない。


どれもメディアによってつくられた「普通」「当たり前」の幻。

そこに比べて「あれがなかった」「これをしてもらえなかった」を握りしめて、「辛い過去」ができていく。

 

もし、この幻がなければ、あるのは本当はもっと純粋な感情なはず。

「あのとき、こう言われて悲しかった。」「そばにいてくれなかったから寂しかった。」「誰かに構いすぎてて、やきもちをやいていた。」

とか。


もっとわかりやすくて、単純で、ピュアな感情。

それらがメディアからもたらされた価値観によって、ピュアじゃないものになってしまう。

そしてそれに気づかず、それに縛られてしまう。


自分が誰かにできることが限られているように、誰かからしてもらえることも限られていて当たり前なのにね。

 

心屋仁之助さんのこの本を読んだときにそれに気づいたのも思い出します。

 

 

結局は「自分の気持ちを大切にする。」それができたら、過去もだんだん癒される。

 

あのとき苦しかったのは、自分の人間としての素直な気持ちであって、そこに周りのひとって関係ない。

そしたら、これから何か必要があって人に過去のエピソードを話さなくなってしまったときも、たぶんもっと気持ちの良い話し方ができるなと思いました。
(してもらったこと、にフォーカスするからね。)


だから何が言いたいかっていうと、大勢のひとがより「自分の幸せ」を突き詰めたとき、メディアから与えられ育てられてしまった本質とずれた価値観を削ぎ落とすことができるような気がして、可能性を感じました。

うれしかった。

それができていった結果、おそらくお互いの幸せも尊重できるようになる。

それってわりと理想の社会。(私にとって)(誰にとっては理想じゃないんだろう。)


90分の講義が一つの記事になるって、自分としては面白いです。
ちなみに講義の名前は「大衆文化論」! いい講義だ~~~~~~。


あ、あと、講義で様々なメディアとのストーリーが紹介されていくなかで、大学時代、つまり2016年に近づくにつれ、メディア自体の発信内容も多様化してきてるなぁと思いました。

たとえばジェンダーのことに限定していえば、こないだ天海祐希さんが主演されていたドラマ「偽装の夫婦」もそれのひとつ。

ドラマ「偽装の夫婦」 オリジナル・サウンドトラック

ドラマ「偽装の夫婦」 オリジナル・サウンドトラック

 

(これほしいな)

 

私はこの作品が好きでした。一緒に暮らす「パートナーシップ」を築く相手と必ずしも性的関係を結ばなくてもよい、という在り方が描かれていたから。


これについてはまた詳しくまとめるとして、メディアによる発信も多様化しているのであれば、これから先の社会はやっぱりなんだかんだいって楽に生きられる方向にいくんじゃないのかなーと。


でも、同時にやっぱりその「価値観は与えられたものである可能性」はしっかり意識して生活したいです。

講義中、先生のコメントのなかで「リラックスしている雰囲気のなかで繰り返し再生される音楽は危険なんだよ~、洗脳されちゃうからね、歌謡曲はジェンダーの再生産なんだよ。」というのがありました。

そうだな~~~と思って。


気を付けないと!と思っても気を付けられないのが難しいところ。

自分の偏りを知るのって面白いから、時々時間をとって振り返ろう~~と思う午後でした。:)

 

「偽装の夫婦」 [DVD]

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