「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「我慢」をしてるひとは、ひとにも「我慢」を求めるのなんでだろう


ブログを100記事続けられていることを、褒められることが多くなりました。


嬉しい、と思います。

大したことがない、とも思います。


両方あります。
どちらにせよ、リアクションを頂けることは嬉しいです、とても。

 

でも、時々、「褒める」という行為を通して、また違うメッセージを受け取ることがあります。

「自分のことを好きだから続けられるんだね、すごいね。」とかがそういうときに言われる多いワードかな。

「私にはできないなぁ~~」とかも。


(先日のイベントでは言われなかったです。)


そして、その言葉の伝えたいメッセージってなんだか、本人が気づいてるか気づいてないかは別として、、、。

「自分だって!」みたいなのがいっぱい詰まっているような雰囲気があるんですよね。

 

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okinoteのショーさんが撮ってくださった沖縄ブロガーミートアップにて喋る私、なぜこんなに怖い顔をしてるのか聞いてみたい、なぜ?)

(もう一回念のために書いておくと、↑のイベントでは言われてない、です。)

 


上の言葉に着目していえば、別に、自分のこと好きでも嫌いでもいいと思います。

っていうか、自分のこと好きだろうと、嫌いだろうと、どっちでもいいっていうか。

どっちにしろ、自分の人生を生きられるの自分以外にいないんだから、好きでも嫌いでもどっちでもいいだろーって思うんですよね。

生きなきゃいけないのに好きも嫌いもあるかー!みたいな。

楽しいなら嫌いでもいいと思うし、楽しいなら好きでもいいと思うし。

 

あと別に自分のこと全部好きになる必要もないだろーーーと思うし。

私だって、笑い方だって顔がちょっと歪んでるところだって肩幅のところだってあんまり好きじゃない…。

でも、よく考えるところも、動くと決めたら動けるところも、自分なりの生き方を選ぼうとしてるところは好き。


あのすっごく素敵なタレントのローラでさえ、自分の声がコンプレックスだというのだから、人間どこまでいっても比較ができる相手=他者がいる限りコンプレックスは抱くし、仕方がない、仕方がないことなんだろうと思うんですよね。

 

 

ローラの秘密 (OR books)

ローラの秘密 (OR books)

 

 ローラ大好き!

 

好きになるのも嫌いになるのも部分部分でいいと思うし、一番大切なのは、たぶん。

一番大切なのは、なんだろう。


自分の一番下のほうにある気持ちを無視してないかどうか、ないがしろにしてないか、かな。


今、いたいひとといる。

今、食べたいものを食べる。

今、話したいことを話す。


それを徹底してする、自分をとことん大切にする。

それが一番、自分の人生を生きるために必要なことなんじゃないかなと思います。

そこに自分への好き嫌いのジャッジって入ってこないもんね。


でね、それをしてる(ようにみえるひと)は、たいてい手放しで褒めてくれます。「ほっんといいよね!」と。

うれぴ~~~ってなります、しっぽぶんぶん。

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(居心地いい)

 


言葉がピュアだから、受け取れるエネルギーもピュアで、どんどん元気になります。

こういうひとたちに対しての限定的な承認欲求があるとしたら、私はそれ強いだろうなと思うし。
だから、そういうひとたちに届くようにと思いつつ発信を繰り返しているんだもんね。

どこにも「我慢」がなければ、相手が何かをしていても見張ったりしないですむと思う、というようなこと。

そして、いいねと思ったら心の底からいいねと思う、見張ってないから疑いもしないわけです。


逆に、どこかに「我慢」がある暮らしをしていたら、たぶん相手が「我慢」をしないことに対して腹が立つ。
そして、見張って見張って突ける矛盾がでてくるそのときを待つ。

そしてたたく!

 

この考え事を言語化できたのは心屋仁之助さんのおかげです。もう信者って言われても「そうだよ~」って笑えるくらいおかげだらけ。

 

傷つけ合わない関係をつくるシンプルな習慣 (朝日新書)

傷つけ合わない関係をつくるシンプルな習慣 (朝日新書)

 

( 新作よみたい!)

(沖縄で講演会あるよ→イベント詳細 | 心屋仁之助 沖縄講演会 2016 ~ぢん祭り in Okinawa ~

 

でもやっぱり、大学生活のなかで社会問題のことを学べば学ぶほど、もっといろんな制度をつくっていかないと「我慢」を生み出し続けてしまう、強要し続けてしまう社会から変われないのも事実。


でも社会なんて一日二日で変えられない。


この世の中で変えられるのは、自分の考え、習慣、行動だけ。


じゃあどうするか、それはもう自分の思う最善を尽くすしかない。

どんな社会が理想の社会?と問い続けていった結果「みんながやりたいことをして生きる社会」になったから。

そのために何をしなきゃいけないかはもう明らか。

それが「簡単」であることを示せる生き方をしたい。

そしてそういうひとたちはいろんな世代でどんどん増えてる、そしたら私はそういうひとたちと生きたいって思ったのもあります。

 

BAO君もそう。 

見てる、知ってる、考えてる

見てる、知ってる、考えてる

 

 

10歳の男の子が「目の前の環境が苦しかったら逃げてもいい」と世の中に向けて発信してる。
それがもう、今までの時代との違いじゃないかなと、ただの子供の美談がもてはやされていた時代、子供性のようなものが売られていた時代から変わってきている証拠じゃないかと思うんですね。(過去にも何々さんがとかあったら、勉強不足で申し訳ないとしか言いようがないけど!)

 

「逃げる」に関してはイケダハヤトさんが超そのとおりだ!な言葉をリツイートされてた。

 

そんなわけで、とことん自分のことを大切にしてみているなうです。

試し始めて1,2か月ですがすでにもうだいぶ身軽。うれしいなぁ~。

 

今日も、これみて。

mainichibeer.jp

 

さっき食べてきました。

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うんまかった~~~~~~!

 


一時的な欲を満たすことと、上に書いたようなことって本質的にちょっと違う。
「やりたいこと」のための「やりたくないこと」はやらなきゃいけない=やれちゃうのと似てる話。


でも、まあとりあえずとことんレベル1~100までわいてくる欲望を叶えていくのも楽しいんじゃないかと思って、今日は食べ過ぎました。まだおなかすいてる。
本も読みたいし、人とも会いたいし、出かけたいし、今なんかものすごいインプット欲つよまっています。
同時に、もう会いたくないとか食べたくないとか行きたくない場所とか、そういう断捨離欲もつよまってるから不思議。謎。
どっちも結局同じことなのかもしれない、まだうまくいえないけど!

 

これを追求していった結果どうなっちゃうか、まだ実験中だからわかんない、どうなっちゃうんだろう?


幸せになる気しかしないけどなぁ。


だって、もうすでに周りのひとが何かしてないときあっても、「この~フリーライダーめ~わはは~」でいい感じ。
私もできないときあるし、が次の言葉。

フリーライダーはただのりのひとって意味。グループに参加することで美味い汁だけ吸って働かない怠け者、みたいな意味。
(いいフリーライダーと、わるいフリーライダーがいると思ってて、これについてはまた別に書こう。)

https://www.instagram.com/p/BIGdadmgkQf/

(そういえばちょっと昔にこの名札ももらった、ふり~~~~~)

 

この実験が失敗しちゃったらさ、また次の考え事試したらいいよね。
そのために生まれてきたんだねきっと。

 

あ、「すごいね」とか「私にはできないよ」でも、手放しにピュアッピュアに褒めてくれるひともいます。

ありがたい存在です、大好き大好き。

いろいろ師匠のおかげです。
そろそろ、もうひとり、より具体的な師匠に出会いそうな予感がします。
たのしみでワクワクしていて、その日は早すぎず、遅すぎないタイミングでくることもよくわかっていて、それはすんご~~~く嬉しいです。たのしみ。
どうぞよろしくお願いします。


さ~眠る前に「カラーボトルのあそび」のなかみつめつめゲームする。なんでもゲームつけちゃえばいいよ、ゲームゲーム。
これは受験生のときにこの本読んで思ったんだよなぁ。

最初の考えだけインストールしてあとは変えちゃったけど、面白い本だったなぁ。

 

受験はゲーム!「道塾式」劇的合格法

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