「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

SEALDs創設メンバーの奥田愛基さんの書いた「変える」を読んだ話

 

この本をね、今日読みました。

 

変える

変える

 

 

SEALDs創設メンバーの奥田愛基さんの書かれた本です。

 

帯に書かれていた「23歳」が目に飛び込んできて、読みました。

そっか、本当に同年代なんだ、と改めて思って。

 

簡単に内容を書くと

 

・奥田愛基さんの育った家庭

(面白かった、章のタイトルの名前もね「家にマザー・テレサがいるとうざい」)

・いじめられた中学時代

・なぜ生きるのかという問い

・石垣島の離島にて送ったのこりの中学生活

(リストカットとODしたときに死ぬほどおじぃおばぁに怒られ、のこりの薬は全部たき火で燃やされたというエピソードは気に入ったすごく)

・どこかの山奥の全寮制の高校へ

・そして大学へ

・SEALDs結成、結成中のできごと、デモについて、結成後のできごと、今

 

みたいな感じ。

 

共感したポイントはいくつかあったんだけれど、そのなかでやっぱり一番大事だと思うのは「やる・やらない、のうちのやるを選ぶこと」です。

 

そんなんじゃ変わらないかもしれない、という疑問だけではなく、びっくりするような批判、はたまた殺害予告まで、でもそれでも活動をやめなかった。

結果として安保法案は通ってしまった。

でも、それでも「日本でデモができる」ことを示せたことは大きな結果だったと書かれていて。

(負け惜しみのような書き方ではなく、本当に意味のあることだった、という書き方。)

 

そう、意味ないよ、と言われたとしても。

そんなの役に立たないよ、と言われたとしても。

びっくりするぐらいの批判をされたとしても。

「やってみた」あとのことは、やってみることでしかわからない。

それに、「やってみた」景色は、やらなかったひとには見えない。

 

そんな当たり前?のことを、この本を読んでひしひしと感じました。

 

本の最後に、キング牧師の「善良な市民がいちばんたちわるい」の言葉が紹介されてて。それもそう。

「みんな違ってみんないい」

を間違えてつかってはいけない、と本当に本当に本当に思います。

 

A側とB側の問題であって、それはCの立場(にいるかのようにみえる)自分には関係ない、いわゆる「神視点」で政治の問題や、行政の問題、もっと小さいスケールのことでいえば職場のルールやらなんやらでもそうでしょう。

そういう視点でものをいうひとが増えている、という体感があります。

 

「じゃああなたは?」

という質問に、私は関係ないので、とさらりとかわす。

 

そんなんじゃ、何もよくならない。

どの立場にいるひとも「自分事」の視点を持って問題を語らないと、そもそも変わりにくい社会はもっと硬直してしまう。もしくは都合の良いように変えられてしまう。

 

ファストファッションの話にしても、フェアトレードの話にしても。

加害者は私です。

そう、構造がもうそうなってしまっているのだから仕方がないというのは簡単で、「企業」と「労働者」の話だから自分は無関係だというのは簡単。

でもそれって嘘です。

 

だって、消費は投資だから。投資は応援と一緒。

 

このブログに書かれている話だってそう。

ameblo.jp

 

 

亡くなった彼女は
いま日本で働く人が味わっている理不尽さを
全部負わされていた
寝られない 
休めない
ひどいことを言われる
でも、そんなの社会人なら
当たり前だろ?
甘えんなよ
加えて
女の子なんだから
可愛くしてろよ
女子力足りないよ
これ、男VS女じゃない
性別じゃなくて
価値観の問題
人を人とも思わず
非人間的な働き方や
差別的なコミュニケーションを
当たり前だと思っている人たちと
それを押し付けられて
ボロボロになって
それでも声をあげる場所もなく
自分を責めてしまう人たちとの
すごく、すごく理不尽な関係なんだ

 (リンク先本文より)

 

小島慶子さんの記事、もうひとつのこれもすごく素敵で。

ameblo.jp

えーと、
だからね
女性が
可愛い女の子でなきゃ
素敵な奥さんでなきゃ
完璧なママでなきゃ
いけない、
なんて言われる世の中には
みんなで
NO!プンプン
って
言おうよ!
ってこと
(リンク先本文より引用)

 

で、この二つの記事がどうしてスッて入ってきたかというと、それは上にあげた

 

変える

変える

 

 

この本のなかでSEALDsの福田和香子さん(本の中ではWAKAKOだったかな)が言った「世の中にはもっと面倒くさい女子が増えたらいい」という言葉が引っかかっていたからです。

 

これって掘り下げると、この本に出てくる「トラブル・メーカー」になる重要性と重なっていきます。

 

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

 

 (ちゃんと読めてるかやや自信ないけど)

 

ポリアモリーの話にしても、政治の話にしても、いやその話はセクハラだろと思うことへの反論に関しても「めんどくさい」と言われることはときどきあります。

 

私でいうとそのあたりの話になるけど、社会的立場が異なったら、育休や産休に関する子育てについての話や、それこそ上のほうに引用した記事のなかで取りあえげられている労災についてになるのかな。

きちんとした労働時間とお給料の話とか、そういうのもきっと声をあげたひとに対して「めんどくさい」という言葉がぶつけられる場面がきっと、世の中でたくさんあるんだろうと思うわけです。


でも、社会を変える可能性、より居心地よく生きられる社会をつくるためには、この「めんどくさい」の前に、そうだよね、と空気を読むことは一番だめなこと。

だって、その空気を読むってことは、それで「問題ないです」と表明しているのと同じ。


そんなきれいごといったって、というかもしれないけど、実際にもうその空気読むのやめようよって思って動き出しているひとが増えてるのが今の時代だと思っていて。


だとしたら、それってもしかしたら希望かもしれないなぁーと思うんですね。


こんな社会だめだ、と絶望するのは簡単。
でも、もしかしたら、の希望が今あるのなら、その希望を育てていきたいし、育てる側の人間でありたいな、と思うから。


だから、これからも、「めんどくさい」と言われつつ、「それ違うんじゃないかなぁーと思う」というのをちゃんと言える自分でありたい、と決めています。


今、身の回りにいてくれる大好きなひとたちは、たとえば「女子がー」とか「男子はー」とか、そういう性別でくくるような発言をしたときに、「うーん」という顔をする私に向けて「あ、今のは違う、こういうニュアンスのことを言いたくて」とちゃんと言葉をつかってくれるひとたちです。


そんなひとたちと出会えたのも、「めんどくさい」自分で在ったから。
そして、そんな自分が嫌な人は自然と離れていった、というだけのこと。

 

もっともっと「めんどくさいひと」が増えたら、ちゃんと日本も「仕事」よりも大切なことを当たり前に大切にできる働き方ができる国になるんじゃないかなーと、そんなことをこんな本を読んだあとだからか、思いました。

 

日本が世界一「貧しい」国である件について

日本が世界一「貧しい」国である件について

 

 

テレビをつければ「日本大好き」な番組ばかり、同年代でも話していて「ん?」なるときあるもんね。今の日本、そんなにいい国じゃないと思うから、「いい国」ってなんだをもういちど考えないと、と思うし、「いい国」だと大きすぎるから小さい単位で身の回りから、とね。

 

そんな理想論じゃ回らなくなるんだよ、と「わからないよね若いあなたには」という顔で言われるけれど、そんなんだから回らないのでは、と言いたいけれど、まだ何もわからない経験数の少ない自分では言い返せないのが悔しいです。

だから、私は「生きたいように生きる」ことを追及したい、別に脳内ハッピーだからそう考えているわけじゃなく、いやまあ脳内ハッピーであることに変わりはないんだけど、なんか、いつもはかる~くバカにされても、わははと笑って流すけど、今日はそんなことを思う夜でした。

 

うまくまとまらなかった…。

ぜひ読んでみてくださいね。

 

変える

変える

 

 

今日の記事も読んでくださってありがとうございます。