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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

歴史は全部うそ!の話。

 
とうとう100記事目。

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どうもありがとうございます。

 


4回前の満月の日、ガンガラーの谷で「1000記事書いたら奇跡が起きるよ」と言われ、奇跡いいねと思って始めたブログ。


目標の1000記事を100%の状態とすると、この記事でとうとう10%に到達したわけです。


読んでくださる方やコメント、メッセージをくださる方のおかげで楽しく続けています。
反応があるって面白いです。


血のにじむような努力とか、雨の日も嵐の日でも書きました、とか。
そんなんじゃないのであれですが。

毎回、のらりくらりと、書きたいことを書きたいようにつらつら書き、今回100回目になった、というだけです。


なのに心なしか嬉しいのは、このいい感じの性格のおかげだと思います。


嬉しさ度でいったら50記事更新したときのこの記事のほうが嬉しそう。

 

www.pidakaparuna.space

 

さてさて、後期しょっぱなで受けた講義は「日本政治外交史」でした。

(私は琉球大学の4年次で、政治・国際関係専攻というところに所属しています。)

今日はガイダンス。


先生が話してくださった「歴史」と「過去」の違いが面白かったので、メモ代わりに記事に。
(講義冒頭、夏休みが終わったショックからまだ立ち直れないと笑っていた先生もすごくツボでしたが。)


まず、過去というのは過ぎ去ったものたちすべて。
要するに膨大な量の過去が存在しているわけです。
そして、それらすべてが記録されているわけでも、記憶されているわけでもない。

対して、「歴史」はその過去のなかからひとびとが関心を持ち抽出したもの、つまり過去への「解釈」が歴史、という話でした。


そして、その「歴史」には真実も何もない、ただのストーリーだと。
なぜなら、どの歴史も結局は膨大な過去の一部であり、そこに色付けした人物が存在するから、ということ。


でも、そんな歴史を学ぶことは決して無駄さなことではない、なぜなら「過去を知ることで今を相対化することができる」からだそうです。

 

この考え方超好きだなと思いながら聞いていました。


過去を知ることで、分析することで、今の社会が当たり前ではないことを知る。

そこに希望があるわけです。

「では、どうしたい?」という問いが生まれます。


過去を知ることで、今を相対化する。


今は、過去の延長線上にあるわけではなく、それぞれの過去と対応する形で、点として存在していて、未来も同様に無数にある。


「では、どうしたい?」に耳を澄ませる。

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どうしたいかな。

 

先生は10~15年で社会はガラリと変わっていく、と話していました。
そういうスパンがあるようです。


15年前、私は6歳でした。たしかに、ガラリと変わっています。

女のひとのお化粧も、かっこいいとされる男のひとも。
服装も、流行っている食べ物も、その内容も。
主要なメディアも、もちろん政治の状況も。


そして、15年後、私は36歳です。
おそらくまだ生きているでしょう。(おそらく)(今日か明日死ぬかもしれないけどね)

なんとなく生きてる感じがしますが。


36歳、変わっていないなんてありあえない。


植物もひとも本当に勝手に成長する、成長しようとしなくていい、放っておいていい、とこの本で知りました。

 

がんばらない成長論

がんばらない成長論

 

 
だから何が言いたいかっていうと。


無理して「成長」を求める必要なんてなくて、たぶんぜんぶ「なにしたい?どうしたい?」でいいということ。


過去の自分を知ることは今の自分を知ることになるのではなく、過去の自分と今の自分の点を比べて、今の自分の位置を知ること、ということに意味があるということ。

そこに一貫性なんてなくてもいいし、無理やり一本軸を通さなくてもいい。


そして、未来のどの点と今の点を結びたいのかを考えて、それぞれの点に定規を当てて線を引くようにそれとそれを結べばいい、ということ。

 

だから、これから先ちょっとずつ、過去の記事、1~100についてカテゴライズして、自分がどんな考え事を、どういう変遷でしてきたのかを知る作業もしてみよう、と決めました。

 

とことん自分を知る、それが強みになると思う、と後輩の男の子がMovementの学生プレゼン部門の予選の選考会で話していました。
その通りだと思います。


どこを切っても切っても金太郎飴みたいに「日高春奈」が出てくる。(うるさ)

https://www.instagram.com/p/BIZjP-tgdZ_/

(いかがでしょ。うるさいね。笑)

 


そんなのって、強いなぁ~。

 

何が書きたいのかよくわからないかもしれませんが、要約すると「歴史は全部解釈つまりうそ!」という話。

これってそのまま人生とも言い換えられて。

だから、自分の今まで生きてきた人生なんて全部嘘。
忘れてしまった過去が本当は無数に存在していて、のこってる記憶は全部自分の解釈に基づいてつくられたストーリー。

だからそんなものに、そんなものに、自分の未来を今を左右されなくていいわけです。

 

そう思うと、なんだかやっぱりとっても自由だなぁ~と、なっちょんさんの歌を思い出していました。

自由に空を飛ぼう。


じゆうにそらをとぼう ザ・なっちょん



200記事目までには、もう少しできること増えていますように!
増えてる気しかしないし、なんかそのころにはお金のことも解決してそうだし、むしろいっぱいお仕事してそうだし、ラートも楽しくやってそうだし、いいね!


100記事もお付き合いしてくださった方ありがとうございます。
読んでくださってありがとうございます、嬉しいです。


ちなみに、あんまりにも長い記事は途中でおなかいっぱいになるな、と読み返しながら自分でも思ったので、これからは半分くらい、今でだいたい3000~5000字なので、1500~2500まで減らしてみたいと思います。


長い記事は分けるとかね。

そういう工夫をしないと、読んでる人に失礼だなとようやくわかりました。
遅くてごめんなさい。

なんでこう、いろいろ気づくの遅いのかなー。間も悪いし。
まったく困っちゃうよねー。

 

楽しいけど。ごめんなさい。

 

今は11月のみつろうさんの山梨遠征に行きたい行きたい!と飛行機代の15000円をどうにかしてつくりたい(先に借金かえす!けど!)画策中です。
いきたいなーーーーーーー。どうにかならんかな~。


あのナメック星のおうちみたいなの作ってるひとに会いたいなーーーーー。

 


という感じ、100記事目、めでたいね!

ではでは~~!よいのこりの人生を~~~!歴史は全部うそ!過去は全部うそ!相対的って言葉かっこいい、相対的。

 

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 こういうの撮りたかったけど、トポやめて、今日は台風で朝かつもなくて、撮れなかった、ちーん。