「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

うっすい内容なんだけど2つ読んでほしい記事がある話。


なんでブログを書くのか。

なんでラートをするのか。

なんで人と会いに行くのか。


なんで、なんではたくさんあって、昔、というか数か月前は、その「なんで」に明確な答えがないといけない、と思い込んでいて。


でもそんなことは全くなくて。

 

それがなくなった今、私はとても身軽で。


それがとても嬉しいなと思うわけです。

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ぴょ~ん。

 

 


たとえば今は沖縄の泡瀬にあるBBコーヒーというお店でキャラメルラテを飲んでるけど、それも朝に起きたあと、何が飲みたいかで思い浮かんだからそれを飲みに来ていて。

 

そこになんていうんだろう、カフェインを摂取したい!そのカフェインで健康になりたい!みたいなのはない、、、みたいな。

 


こんなことを書いてのこしておく意味も。


ぐるぐる鉄の輪に乗る意味も。


人と会うためにお金をかけることも。


全部なんの意味もないと思います。


言ったら、生きていることだって、あんまり意味なんてないんだと思います。

 

でも、生きてる。


でも、書いてる。


でも、ラートにのってる。


それには意味があって、それはやっぱり喜びで。

ひっくりかえしたら、喜び以外には意味がないんだけどね。

 

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(にゃんころは遊んでるときも眠ってるときも喜びでいっぱいだね。)

 

「理由」を持たないというのはとても身軽で、そこには純度の高い喜びしかない、からだと思っています。


「理由」や「目的」があったほうが「達成」はしやすいんだろうと頭ではわかるけど、どうやらそういう生き方はできないタイプのよう。

 

でも、この生き方も気に入り始めていて、それは、いろんなひとのおかげでそう思えました。

 


別にこの生き方をしなよ!ということを言いたくて書いているわけではなくて。


たとえばこないだの癒されnight?に来てくれた、こんな私と会って嬉しいと涙ぐんでぐれた女の子のように。


「この生き方をしてもいいのかな?」

「本当はこういうふうに生きたいけどこわいなぁ」

って思っているような、似たものの子に、こんな生き方でも(今のところ)飢え死にしそうにないよっていうのを届けられる媒体として、いいなブログは、と思っている次第でございます。

 


生きるか、死ぬか、で悩むようなこと、本当はしなくていい。


生きてきて、生きているだけで、生きていていい。

 

そんな当たり前のことに気が付くまで、腑に落ちるまで、長い時間をかけてしまったなぁと思います。


そして、その苦しい時間って、本当は過ごさなくてもよかったなぁって。

 

あとの人生は明るく生きられればいっか。

 

 

なっちょんさんがね、癒されnight?のときに花束をくださいました。

 

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トポセシアを卒業する私のために。


ちゃんとお会いするのは、そのイベントが初めて、というくらいの知り合いの私に。

 

すっごくね嬉しかった。

 

その花束のなかには、小さなお手紙が入っていました。


もう歌をやめようと思っていた、でも・・・


とつづってくださったその気持ちを、大切に大切に抱きしめて、身体のなかに光として私は食べ飲み込み消化しました。

 

ひとからの愛を、そんな風に身体に入れられたのは初めてのこと。

 

本当に嬉しいお手紙とお花たちでした。


これの花びらね。

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生きてることに意味がなくて、いま生きているというだけで、そこに意味が持たされているのだとしたら。


なら、生きたいように生きてやろうと思うわけで、そして「生きたいように生きる」というのは。


さとうみつろうさんがこのブログに書かれていたように。

ameblo.jp


誰かのために、命を燃やすことでもあれば。


その誰かのために、をできるように、自分ととことん向き合うためにでもあって。

 


「誰かのために」は自己犠牲からではいけない、から。


自分のコップがいっぱいになってはじめて、いや、もともといっぱいであったことに気付いてはじめて、誰かのために、ができる。


そう思っています。

 

 

数年後の何々のため、何をいまして、という考え事は本当に苦手です。


誰かのために、何かをする、という考え事も苦手。

 

何かをするためには「好き」の気持ちがないとできません。


大好きなあなたのために、私ができることはなんですか、という考え事がいつもあります。


それを考えるとウキウキして、そのままぴゅ~~~っとどこかに行けちゃうくらい飛べる気がします。

 

ameblo.jp


この記事に書いてあることも本当だと思いました。

 

そうなのそうなの。

 

考え込む、と沈みます。

でも、つい考えちゃうことはウキウキする。

 


私がいま好きなひとたちのために、私は何ができますか。

 


その考え事に出会えた自分が嬉しくて、楽しいです。

 

誰かとの出会いに縋るつもりはありません。

えらいひとにすべてをお願いするつもりもありません。


自分が「やりたい」と思ったときに、とびこんで、断られるかもしれないけどお願いして、それでかなえば嬉しくて。


それを繰り返していまがあります。

 


えらい大人に媚を売って、いけるところまでいく、なんて限界がありすぎる。

それに、それって全然ウキウキしない。

 

創りだす側に立ちたいから、創りだしているひとのやっていることを観て学びたい。


その気持ちばかりです。


嘘をまとって生きられるほど、器用ではありません。

 

 

だから、なんていうか。

こう、いろいろ考えてきて、いろいろまとめているけれど、どういう風にこのブログをしたいのかは未だによくわかんねーな!という感じ。

 

1000記事書いたら見えるのかな。


これは、「時間のむだ」ではないのかな。

 

わっからんなと思いつつ、コーヒーお代わりしようか悩みつつ。


私トポセシアを9月に卒業したら10月からの稼ぎ口を見つけられていないので、本当に飢え死にするかもしれないんですけれど、お仕事させてもらえないかな、もらえますように。


ひ~~~。


実際あんまり10月より先のこと考えていなかったから、このあとどうなっちゃうのか本当にわからない。


どうしたいかな?


あと2日でわかってしまうこの考え事、考えられる時間があるのは贅沢なこと、嬉しい贅沢、幸せだなぁ~。

 

今回の記事、なんで書いたのかよくわからない、二つの記事のリンクをどこかにのこしておきたかっただけ、ですねきっと。

読んでくださってありがとうございます。

幸あれ!

 

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