「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

朝起きて大きな虹を見ながら考えた「ブログをする目的」の話②

 

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こちらは渡嘉敷島でみた虹ね、これも大きかったね。


というわけで、こんなことをさっき書きました。

 

www.pidakaparuna.space

 


それで、考えていくと大きなゴールっていうのはやっぱり「生きたいように生きる」ことでした。

好きなように生きること。

それをしたいひとが周りにいたら、そのひとともそう生きられるように何かすること。

 

でも、それって、いつから始まった、どうして始まった考え事なんだろう?というのが、次に浮かんできた疑問でした。

今回の記事では、「どうしてブログをするのか」からは一旦離れて、ここの考え事を整理してみます。

 

私は1995年生まれ。

今21歳です。

ということは、この考え事のヒントは、0歳~21歳までの記憶のどこかにあるはずです。

 

生きたいように生きる。

好きなことをして生きる。

 

一番は、生まれてきた意味がわからなかった時間がとても長かったのがあります。


自分の力ではどうしようもない(と感じる)(当時の自分にとって苦しかった)出来事がたくさんあったこと。

そして、それは自分の範囲だけではなく、同い年の友人や後輩たちのことを思い浮かべてもその苦しさがありました。

 

生まれてくる子どもは親を選んで生まれてくる、という考え方を当時はまだ知らず。

 

ママのおなかをえらんできたよ。

ママのおなかをえらんできたよ。

 

 

生まれて来る家族を選べるなら、○○ちゃん家がよかったよね、とか。

○○の家だから、○○はあんなふうに言えるんだよ、とか。

なんか思い出すと、ちょっと恥ずかしいけど、そんな会話もよくしていました。

 

周りの子も自分も、親との付き合い方がうまくいかず、過保護と無視の両極端な愛情表現をしてくる家族や、暴力や暴言、他にもいろいろな家庭事情を前に、どうしたもんだかと悩んでいたように思います。
相談にのりあいながら、なんとか中学時代を乗り切ったような感じでした。

 

何度も話題にあがっていた「産まなければよかった」という言葉なんて、もしかしたら超気軽な「ばかやろー」くらいの言葉だったのかもしれません。

でも、当時の私たちにとってその言葉は強烈だった。
どの友達と話していても、どの後輩と話をしても、一番傷ついているのはそこだったのが本当に印象にのこっています。

出てけ、とか、ぶす、とか、そういう言葉よりもよっぽど重たかったあの言葉は、本当はどれくらいの意味がこもっていたんでしょう。
子どもを産んでからわかることがきっとたくさんあるんだろうな、とこの辺の考え事をするときはいつも思います。

 

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(そういえば、ぢんさんに何かを話したわけじゃないのに、よく生きてきたえらいぞーって頭をわしゃわしゃしてもらってわりと泣きそうになったのを、なんでか今思い出しました。ありがとう)


その後、高校を転校し、大学に入学し、とそれまでの環境と違う環境で出会うひとたちは、もっとひどい経験をたくさんたくさん、家庭事情を理由に持っていました。
まだうまく消化できないようなエピソードばかりです。

中学生の頃、わたしは等身大に等身大の大きさの苦しさを前にもがいていたけれど、それよりももっともっと大きなやるせない苦しさもあることを知ってから、じゃあどうしたらそれを解決することができるのか、という考え事にうつっていきました。


とはいえ、その考え事の範囲はあくまで、家庭環境というところにフォーカスしていました。

身の回りにこんなに傷ついている「子ども」がいるのに、なぜ世界平和?国際貢献?と、そういう種類のものに触れるたびに腹立たしく思ったこともよう覚えています。


高校の頃、最初に出した解決方法は「とりあえずたくさんお金を稼いで社長になって、子どもたちが住んだり好きなことを学べる施設をつくる」でした。

ちせつ。

でも、横浜国立大学の推薦試験に落ちちゃったので、そこでなんか「経営学部」はやだなと思って、しばらく社長になる考え事は保留にしていました。

推薦入試に落ちた理由を分析していくにつれて、しっかりとわかったのは「自分の軸」がなければ人を説得することも、大勢のひとを救うこともできない、ということ。

ひとを幸せにしたかったら、まず自分が幸せじゃなきゃね。
の一文に収束する考え事です。


う~ん、じゃあ何が幸せかなって考えました。

で、そのときに一番感じていた「おじいちゃんへのあこがれ」を突き詰めていきました。
こんな風になれたら幸せかも、のこんなふう、がおじいちゃんの生き方だったんです。

あんなふうにひとのために生きられるのはどうしてだろう、それが喜ばれているのはどうしてだろう、偉いひとたちから認められているのはなぜ、と。

そのときに、この考え事の材料になるぞと感じたのが、おじいちゃんの職業「政治家」でした。

政治家になって、制度をたくさんつくったら、救済できるひとが増えるかもしれない、そうも思いましたし、いつも家の玄関をあけてお客さんが話をしにこれるようにしているようなおじいちゃんみたいな政治家もいるのに世間ではバッシングばっかり、なんで?という考え事もありました。

とにかく、とりあえず「政治」のこと知りたい!と思ったのが、琉球大学の政治・国際関係にいる理由です。
あとは論理的思考能力を高めたい!みたいな意欲もありましたね。
ちなみに、沖縄を選んだのは、日本のなかでも、有権者の意識が高く、政治に関して「自分たちのこと」と捉えているのではないかと期待したからでした。


そんな考え事を持ったまま、高校を卒業し、大学へ。

政治を勉強しても、なんか違う感しかなく、ラートにはまり楽しく回ったり、アルバイトしたり、海外に行ったり、といい感じに過ごしていましたね。
まだだらけていたとも言います。だらだら。

 

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(キャンプの引率などで子どもと関わったりっていうのも続けていましたね。)


そんなこんなで、成人しました。


成人したとき、一番感じたのは、やっと終わった、でした。

呪いが解けた、に近いかな。

親権がなくなったわけです。


やっと自由だ、と思いました。

もう超めんどくさかったいろいろ!大人たちには大人たちの事情があったことも、そのなかでもうこんな幸せなことあるかってレベルで助けてもらったのもよくよく理解していて感謝してるんだけど、でも、自分の超個人的な感情をあえて書いておくとしたら、もう本当に親権がらみのことは面倒くさかった。

 

ちなみに、

20歳になりました成人です、この言葉の重さを自覚すると涙がほろほろと今までたくさんありがとううまくいえないけれど、呪いがとけた、みたいな感覚がある嫌な色の気持ちがもう身体の中に流れてないのがわかるずっと待ち望んでた、ほんとに待ってたちょっと寂しくもある様な、不安もちょびっとでも、やっと自由、やっと自由に20歳の目標は3つワクワクしながら生きること今まで貰ってきた気持ちを周りの人にあげること気づける人になること具体的には、、、ふはは!ああ本当に幸せ!神様ありがとう、今まで守ってくれた人たちありがとう!超ハッピー!!!!!!!生きていてよかったー!!!

 

と書き残していました。

 


そういういろいろな面倒ごとからやっと離れられたってホッとしたのもつかの間。

うわってなりました。

忘れてた!って。


成人したらすべて解決する、わけではなかった、まだ周りにはいっぱい苦しくしてるひとがいて。

成長過程を終えた今も、精神疾患と折り合いをつけるのに時間がかかってるひとたちだっている。

そして、あのころに傷つけた痕がのこっているせいで、選びたいのに選べないものがあるひともいる。


でも一方で、出会うひとたちのなかで、「幸せな家庭」のひとも増えていったんです。

特に体操部の卒業生のご家族がそれだった、私にとって。

体操部を卒業して結婚して、子どもを連れて部活に来て。
お互いに支えあっている様子が随所に現れてて。

きっと見えないところではいっぱいいろんなことあるのかもしれないけど、それでも、赤ちゃんも子どももあんなに良い子たちで、素直で優しく、かわいいのだから、きっと、安心して育っているんだろうとわかるわけです。

 

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体操部以外にもあるね。


でね、それってなんで?って。

何がもとで生まれる違いなのか?って考え事が始まったのが20歳の一年でした。


でね、その考え事にひとつの答えをもらったのがぢんさん(心屋仁之助さん)の講演会で聴いたママの歌。


ママの歌

この歌です。

 

そのときにわかったのがねーわかったのが、「がまん」のせいだったのか!ということ。


子どもは制限がないから、「好きなように生きよう」とする。当然のこと。


ばおくんのこの本を読んでいてもそれを思い出しました。

 

見てる、知ってる、考えてる

見てる、知ってる、考えてる

 

 (超すてきな本)


でも、お母さんが、お父さんが「好きなように生きよう」としていなかったら、というか「できない」と思い込んでいたら。

そしてその理由が子どもにあるようにしか見えなかったら。


そりゃ、親子関係がよくなるわけないよなと思ったし、いろいろな理不尽が生まれてくるなとも思いました。

 

ちょっと長くなっちゃった。

 

そう、「好きなことをして生きる」こと、「生きたいように生きる」ことにこだわっているのは、そこが原点でした。

自分がそんなふうに生きられたら、きっと生まれてくる子どもともっと楽しく生きていける。

みんながそんな風に生きられたら虐待なんてきっとない。

「けんか」や「ぶつかり合い」「しつけ」と「虐待」の違いは明確です。

それが一方的であるか双方間のコミュニケーションとして成立しているか。

 

虐待、する側もしんどいのよくわかっているから、自分にも加虐経験があるから、それがわかります。


母親・父親に「完璧であれ!」と言うのではなく、「好きなことしれ!」を。
それがあったらたぶん、子どもが好きなことしててもたぶん、無性に腹が立ったり、癇癪を起したくなったり、「お前のせいだ!」って思わないんじゃないかなっていう想像です。


「生まなきゃよかった」の言葉の重さは発信側と、受け取り手側で、きっとイコールじゃないんでしょうね。
子どもを産まないと、わからないことばっかりなんだろうなぁきっと。

https://www.instagram.com/p/y3YuvKDcSM/

子ども授かるのいつかな。1000人くらい育てるよ。


うん、なにはともあれ、「好きなことをして生きる」「生きたいように生きる」が大切だ!と、心の底からそう思っています。
ちなみに「好きなことをして生きる」がうまくいけば、世界平和にもなると思っています、が、アイリス・マリオン・ヤングの正義への責任にもあるように、個々人が「責任」のところ考えなかったら、「好きなことをして生きる」はただの身勝手になってしまう、ちょっときわどい言葉です。

 

正義への責任

正義への責任

 

( 大切な本です。)

 

だから、誠実に「好きなことをして生きる」が大きな目標?というか大きな実践内容、今回の人生のテーマです。

そこにだけ、私が生きていく意味を感じています。

 

どの考え事も結局そこと結びつくからです。

どの経験も。

どの人間関係も。

 

で、これはまだうまくいえないけど、自分がそんな風に生きてたら、まわりのひともついでに勝手に幸せになっていくんじゃないかなと思うわけです。
どうしてかな。

https://www.instagram.com/p/BIZjP-tgdZ_/知らないけどね!へい!

 

 

読んでくださってありがとうございます。


なんで「好きなことをして生きる」なのかを明らかにできたので、次の記事「で、ブログはなんでするんじゃい!」に続けようと思います。

 

こうごきたい~~。


朝から重いなぁ~。
というか、よくこんなに明るくなったなと思いましたが、思えば小さい頃から明るいというかひょうきんなのは変わっていません。
ずっと頭おかしい枠だった気がします、わりとね。

 

https://www.instagram.com/p/BBmTmd_jcZs/

いや、ほんとにかわってない。

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