「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

ちゃんと傷つかないと癒されないんだよね、の話。

 


今週が終わろうとしているのを感じながら、いただいたメッセージに目を通しています。


私のこと、私の普段の生活、姿を知っているひとが大勢読んでくださっていたこのブログが、今は、私のことを知らないひとによく読まれている。


それは一過性のことかもしれないけれど、とても面白いことです。

 

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 とてもうれしいことでもあります、照れます。

 

「生まれてきてくれてありがとう」

その一文に込められた愛を、受け取って、抱きしめて、手放して。


とても幸せだなと感じています。

ありがとうございます。

 


みんないろんなことがあるんだなぁって思いながらそれを読みます。

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 (おいしいごはんみたいに、栄養になっています、感謝。)


「生まれてきてくれてありがとう」をひとに伝えられるひとになりたい、と、メッセージを読みながら思いました。


「生まれてきてくれてありがとう」

「出会ってくれてありがとう」

「話してくれてありがとう」


いっぱいいっぱいの愛を伝えられるひとになりたい。

 


それに意味があるかどうかはわからないし、たぶん意味なんてないんだとも。よい意味でね。

 

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てやんでい。

 

意味がない、というと、人の行動についてその裏にある本音について考えをめぐらすことも意味がないなと思っています。


ひとの気持ちを、表情や行動、言葉から想像することは、小さい頃からの癖です。

当たったり、当たらなかったりします。


だいたい当たるんだけど、ときどき外れます。


スピリチュアル的な能力というよりは、察知能力が高いんだと思っています。

 

わかっていても力になれなくて、結局わからないほうがいいんじゃないか、とかよく考えています。


空回りっぱなしです。


結局いちばんいいのは「どこまでいっても100%は理解できない」の前提を持つことなのかもしれません。

その前提を持ててはじめて、ひとの気持ちに、痛みに寄り添えるのかもしれません。

 

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(それでもわかりたいから、小説をたくさん読んで、映画をみて、ドラマを見て、研究論文を読んで、ってインプットしてしまうものです。)

 


昨日はすごく悲しい気持ちで眠りました。

でも、この「前提」について気づくために必要な体験だったような気がします。


自分の気持ちを大切にしよう、と決めたのは今年の6月のことです。


「相手を傷つけたくない」という気持ちからの行動が、あまりにも自分を傷つけたからです。


最近やっとその出来事と向き合えるようになってきました。


まだまだその傷をいやしきれてはいません。

時間がかかることでしょう。


身体的なこともありますから。

 

それでね、悲しい気持ちになったのは、自分の気持ちを大切にして、それに基づいた行動をとってきたことが、迷惑をかけてしまう結果に、迷惑というか、なんだろう。

面倒ごとを増やしてしまうことに繋がってしまったから、です。

 

いっつも役に立ちたくて、構ってほしくて。

でも、うまくいかなくて、結局うまくできなくて。


毎日ちょっとずつの面倒をかけていることはよくわかっていたけれど、ここまでとは思わなかった、っていう感じ。

 

こういうこともあるんだなぁという感じ。

 

じゃぁ、そこまでわかって私はこれからどういう行動を選ぼうか、と考え始めたのが今日の午後。


たくさんたくさん眠って、エネルギーがもどってきた今。

 

私はどうしたいんだろう、とぼんやり考えています。

 

https://www.instagram.com/p/BIBuOL-grI8/

(ぼんやりしてると顔もぼんやりするよね。)

 

自分の気持ちをまっすぐ出せないことはつらいこと。

でも、そのちょっとのつらいのために、いちばん面倒をかけたくないひとに面倒がかかるのもしんどい。


あ~あっていう感じ。


今回は、もう何もしない、何もしたくない。

何もできない、といったほうが正確な表現かもしれません。

 

また少し休憩をして、それから次の場所に歩いていこうと思います。


ぼやぼやした記事だけど。


「生きたいように生きる」ためには、自分が「生きやすい」社会、場所はどんなものかを知らないといけない。

それを強く感じた出来事でした。

 

そんなにたいしたことないよ、と言ってくれるひともいるけれど。


私にとっては、たいしたことでした。


その感覚を、今は大切にしてあげたいです。
(自分のことに「あげたい」をつかうのは変かもしれないけれども。)


そう、たぶんね、ひとからどんなに「些細な事」として扱われたとしても、あなたが傷ついたなら、ちゃんと傷ついていいと思います。

大丈夫、傷ついたってちゃんとわかったら、その傷はちゃんと癒される。


傷ついて、傷ついたことを理解して。

少し立ち止まってその傷を癒して。

そしてまた歩き出す。

それの繰り返しが生きていく、歳を重ねていくということなんだと思います。

 


おみくじをひくといつも必ず「禍を転じて福と為す」の一文があります、本当に毎回。


それを実感する人生なんだろう、と感じています。

 

今回のことも、「もうそろそろ次の場所が待ってるよ」のメッセージだと思って。


あと一ヶ月のりきれたら、自分に100点をあげようと思います。

 

どんな出来事もアンテナにすぎない、ね。

https://www.instagram.com/p/BIPJq2TARpR/

生き方は選べるもんね。

 

今日がこの記事を読んでくださった方にとっても、読んでないひとにとっても、良い一日だったらいいなと思います。


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こんな気持ちのときはいっぱい抱きしめられたいなぁ。

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