「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

忘れたくないおばあちゃんの言葉たち、の話。(大切なことは「なんて日だ!」)


ばーっと書いてわりとすっきりして、夜ごはんにはおでんを食べました。
(牛すじが一番好き、とろとろの)

 

考え事が身体のなかでうずまいて、それが言葉になって外にでて。
その勢いがとても強いときもあれば弱いときもあります。

今は、バーッて書いたあとなので、ぽつんぽつん、と身体のなかに考え事がある感じ。

その小さな雲みたいな、ぽつん、ぽつんを、ぽつり、ぽつりと言葉にしていきたいと思います。

 

f:id:pidakaparuna:20160830225556j:plain

(自分のなかにある考えごとの形は景色にすごく例えられる、ひとつひとつの雲のサイズや、建物のどっしり感、行きかう女のひと、男のひと、子供、寄ったり引いたりの波、大きく輝く太陽や、小さく見える薄い月とか、もう全部全部それに対応するような考え事が身体のなかにある。とても面白い感覚で、これについて考えているときとても気持ちがよい。)


今回は、おばあちゃんとたくさん話した話。

場所は愛知県の実家、東浦町というところ。
お供はおじいちゃんがセブンイレブンで買ってきたワインと、おばあちゃんがどこかでもらってきたチーズ。
(「コンビニにワインが売っとるんだぞ!」と得意げなおじいちゃん、かわいいです。)

 

帰省中いろいろな話をおばあちゃん、おじいちゃんとしましたが、特に心のなか、身体のなかに栄養をくれたおばあちゃんの言葉を書き残しておきたいと思って。

いくつかあるんだけど、何から書こうかな。
順番を考える作業はとても楽しくて大好きです。すーって流れができると嬉しくなるし、なかなか流れが見えないと、うぐぐってなる。
うぐぐってなるのも好きなわけです。

 

https://www.instagram.com/p/09vvnEjcZN/

(今年で78歳かな?大好きな大好きなひと。)


ああ、でも、どれも「在り方」の話だ。


気持ちの在り方。
居場所の在り方。

そのふたつ。


まず、居場所の在り方から。


最初におばあちゃんの言葉を紹介すると。

「自分が何も考えずにそのままでいられるところ
 無理をせずに笑い続けられるところ
 仮面をかぶらなくていいところ
 
 そういうところで生きられると、
 自然とパワーを発揮できるからね。」

と、

 

www.pidakaparuna.space

 


この記事で書いたように「琉球大学体操部」をほめてくれたときに、あわせて伝えてくれました。


沖縄にきて4年目になって、どんどんとこの土地に愛着がわきます。
本当に大切に思うし、大事なひとたちとの出会いもつくってくれた土地です。

そして、琉球大学体操部は、私にとって、それまでの自分や家族のこと、なんやかんやのわずらわしい様々な事情を知らない場所。
その場所を居場所として定め、根付いたことで、「日高春奈」そのままに自信を持てるようになったわけです。

f:id:pidakaparuna:20160830230357j:plain

(体操部といるときの私は本当に子どもそのものだと自分でも時々引くことがあります。だらしない顔してるなぁ。笑 でも、そこがあるから「外」でしっかりやれるわけです。感謝!いつもありがとう~~てへへ)


沖縄に来られてよかったね、としきりに家族が言ってくれます。
そう思います。

出会ってくれたひとたちにありがとうと思っています。

沖縄で生活できているのは月に7万円もの仕送りをしてくれて、琉球大学の年間50万円近くの学費を出してくれている家族のおかげです。


来ることを選択したのは自分だけど。

 

f:id:pidakaparuna:20160830230216j:plain

(沖縄は、ひろ~い海も、気持ちの良い風もたくさんあるところが好き。)

 

もうひとつは、気持ちの在り方。

これは一言でいえば「全部ニュートラルだよ」という感じのこと。

おばあちゃんが話してくれたのは、知り合いの方が言った旅に関する言葉でした。


「どの国や土地を訪ねても、
 いいひと、わるいひとの割合は50:50。
 いいひとに出会えた時は、
 ああ良い出会いだった、いい国だ、と思い。
 わるいひとに出会った時には、
 これは半分いる悪い人だから、
 次に出会うひとは、良いひとに違いない、と思え。」


この言葉を聞いたときに、直観的に、大切なことを言われたのがわかりました。


結局、すべては、なんでもかんでも、全部0です。

その0に色付けをし、意味を与えるのが、この人生を生きている「自分」という当事者意識。

「自分」が感じることは良い・悪いはいろいろ。
必ずしも50:50の割合ではないと思います。


でも、経験自体はすべてぜったいに中立・ニュートラル?のところに戻っていく。

そういう体験を遠征の間、いや振り返れば人生は全部そういうふうに流れていたように感じます。


よいこともあれば、わるいこともある。
当たり前のことのようですが、それってとっても救いがあると思いました。


たとえば、私は大阪の難波でものすごく客引きのお兄さんにぼったくられましたが。
次の日に食べたこの「くぼちん」はすっごくすっごく良いお店でした。

二日間あわせればちょうど0です。

f:id:pidakaparuna:20160830230607j:plain

(大阪の上本町駅のすぐちかく!おいしかったよ~~お兄さんもお父さんもいいひとだったよ~~くぼちん大ファンだよ!)


ちなみに!インカレのくやしさも、おばあちゃんからの褒め言葉もあわせると0になります。


全部全部そういうものだから、その瞬間瞬間に感じる感情や見える景色にあまり意味がないなとわかります。

全部全部0なわけです。

だから、いちいち感動すればいい、よくてもわるくても。

「なんていいこと!」

「なんて日だ!」

の連続!

(なんて日だ!はお笑いのひと、バイキング風にいえば、笑いに進化するから更にお得な言葉かも。いひひ)

 

それでね、おばあちゃんが続けてくれた言葉がまた素敵でした。


「だから、わるいひとや出来事に出会ったときは、
 あ~あって思ったあとに、忘れちゃえばいいのよ。
 半分あったいいことだけ覚えておけば充分でしょう。」


すごいなぁ、と思いましたね。

同じ年になったときに、私も同じように自分の4分の1しか生きていないひとに、その真意が伝わるように言葉を選べるだろうか。
そんなことを考えていました。

 

全部受け止めて流していく、その連続をこなすうちに、気づいたらきっとやりたいことをやりつくして、今回の人生を卒業するんだろうと思います。

おじいちゃんおばあちゃんが最近やたら「もうすぐ死ぬ」と言いますが。
(冗談でもやめてくれとそれに関しては思っていますが。)

もし、そのときがきても、ありがとうと言えたらよかったと後悔しないように、旅行とかプレゼントしたいなぁって思います。。。
お金ためよう。

 

読んでくださってありがとうございます。


だから、いま苦しいひとも、たぶんそれは0になるし。
いま嬉しいひとも、それもたぶん0になるし。

それってとっても不安から解放される良い考え方だと思います。

 

0になる、というよりは、もともと0という表現がたぶん正しいけれど。

生きてても死んでても意味がないという意味ではなく。

出会うひとや出来事、ぜんぶに意味はあるけれど、そこに「よい」「わるい」はなく、ただ「必要」なだけだ、と思ったという話でした。


うまくかけたかな、むずかしかったな。


ではでは、今日はもう眠ろう。おやすみなさい。
読んでくださった方に幸あれと思っています、幸あれ~~。

全部0なら幸ってなんだ!


あ、おばあちゃんの名前は幸子です。幸あるね。

 

f:id:pidakaparuna:20160830230945j:plain

 

あ!もっとちなみに!

9月24日25日の土日は「ラートdeサーカス2016」が開催されます!

琉球大学の琉大祭で。

30分くらいのサーカスをしますよ~~。

今年で最後の出演、ぜひ生ラート生日高春奈?笑を鑑賞しにきてくださいねー!

もうちょっとしたらイベントページつくろ。