「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「喜怒哀楽」の話。(あのねえ精神疾患なんて本当はぜんぶうそだよ!も書いたよ。)


昨日は、このブログに関して嬉しい言葉をたくさんもらえた日でした。
初めてコメントがついた日でもあります。


改めて、読んでくださる方がいるっていうのはすごいことだなと感動し。
なんだかよくわからないけど嬉しくて嬉しくて泣きました。

どうもありがとうございます。

 

喜び

怒り

哀しみ

楽しさ

自分のなかに湧き上がる喜怒哀楽を愛おしいと感じます。

 

今考えるとあほですが、
前は、「喜び」「楽しさ」だけがあればいいのにと本気で思っていました。

マイナスな気持ちは自分も周りもつらくなるだけだからいらない、と。


マイナスな気持ち、プラスな気持ち
そのどちらもあるからどちらのことも味わえるんだと、今はわかります。

 

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(振り返ると、すばらしいよなわが人生と思う、登ってるときは気づかないのに。)

 

16歳のときに東京から愛知県に引っ越しました。

引っ越してしばらしても気持ちが安定しなくて。

見かねた祖母と姉が、精神科に連れて行ってくれました。


そこで頂いた答え、精神疾患に関する答えは今も私の考えの土台にあります。

当時、気になって気になって仕方なかったひとつのことを、
年上のお姉さんのような、静かな雰囲気をまとったお医者さんに聞きました。

今思い返せば、よく本物のお医者さんに質問したものだ、とやや呆れますが。
(そういうのはいつもやん、というツッコミが聞こえるようですが。)

 

それは、精神疾患というのは、そこに「病名」をつけることによって、
大勢のひとを救うことを目的とされているのではないか、という内容だったと思います。

そして、その「病名」をもらうことによって助かるのは当事者だけではないのでは、と。

あわせて自分の素直な気持ちも伝えました。

パニックもある、ぼーっとしてしまうこともある。
感情の起伏が激しすぎて自分にコントロールができないときのほうが多い。
それぞれの特徴に人格をつけてしまうのも簡単なことだと思うが、それはしたくない。


(今思い出すと、大げさだな~とも思うなぁ。)
(でも、当時の器には収まりきらない出来事ばかりだったもんね、と思います。)
(今よりずっと不安定だったのは仕方なかったね~~。)

https://www.instagram.com/p/BHejIzKAwdi/

(でもほら、あのころが積み重なって今があるからね!!)


そう、話をもどすと。


お医者さんに話しながら、自分のなかにはあのとき答えがしっかりあって、

「私は病名をつけられたくない。時期が来たら治ると思っています。」
「診断はいらないから、パニックを抑える薬だけください。」

そう言ったのをよく、本当にあの部屋の様子まで全部よく覚えています。
おそらくターニングポイントだったんでしょう。


静かに、目を見すぎることなく、静かに静かに聞いてくれていたお医者さん。


ひとつひとつ私を傷つけないように言葉を選びながら、返事をつくってくれました。

私は医者だから、それをそうそうと肯定してはいけないけど、そう思っているよ。

はるなちゃんに精神疾患の名前を付けることは簡単にできるよね。

そうなの、これって実は、ただの性質で、病気じゃないんだよ。

これから先の長い人生、うまくうまく付き合っていける方法を見つけられたらいいね。

 

「治る、治らないの二択じゃないもんなぁって思うよ。」って続けてくれました。

(これわかってくれるひと増えるといいんだけどねぇって苦笑いもしてたなー。)


この言葉をもらったときにね、ほろほろ泣きました。
(涙腺がゆるいのもある、何かとすぐ泣きます。)


「たくさんたくさん考えてきたんだね、えらかったねぇ。」

とも言ってくれました。

(えらい、は愛知の方言で、大変だったねぇという感じ。)


お礼のお手紙書こう書こうと思って、書けずにここまできちゃったな~~~
名前も覚えています、いつか言えたらうれしいな、ありがとうをいっぱい。

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いーーーーっぱい!!


もちろん先天的なものがあるのも理解しているつもりです。
(それはね、病気になることによってまわりのひとを助ける役目をもったひとだと思う。)


でも、「病名」をつけてしまうと隠されてしまうものもある。
「障害」という言葉が受け取れずに、

逆にゴールから遠ざかってしまうこともある。


だから「性質」として付き合っていく、

という先生の言葉は、すごくいいものに思えます。

 

この考え事がするすると今朝でてきたのは、

バシャールのブログの記事が更新されていたから。

 

双極性障害は、一般の人が持つシーソーよりも大きく長いシーソーを持ちます。ですから、それぞれの極から得る波動は誰よりも多く、躁状態の”頂点”がとても高い位置に持つ人たちでもあるのです。つまり、ワクワクの波動の頂点が誰よりも高いポイントにあるので、喜びを感じる度合いも人一倍になる事を意味しているのです。

鬱が訪れるのは、自分が知る”頂点”から外れてしまった自分に嘆き悲しむからです。ワクワク波動を誰よりも愛し、誰よりも戻りたいと願う人達なのだとバシャールは話しています。

 

the PLANET from NEBULAより引用。


これを読んだときに、思い出したことがありました。

ひとりの大人のひとと夜にディズニーのラプンツェルを見ていたときのこと。

ラプンツェルがお城から降りて青年と出会って、
はじめて体験する外の世界がうれしくってうれしくって仕方ないのに、
急に悲しくなってお母さんごめんなさいと大泣きして、
、と思ったら、大笑いしながら外の世界にいられることを喜んで。
その次には、お母さまなんて、と自分を閉じ込めた存在に怒って、と思えば泣いて。

そんなふうにくるくると変わるラプンツェルの様子を見ながら、
そのひとが私に「似てるね」というようなことを言ったわけです。

最初は「え~~」と思ったけど。

たしかになって納得しました。

ほんとに自分でもびっくりするくらいなんです。

一日のなかに、一週間のなかに、ひと月のなかに、
喜びも悲しみも楽しさも怒りもいっぱいいっぱい詰まっていて、

どれもコロコロと変わります。


一定のラインに保つ、というのができません。

どれだけ人を振り回しているんだろう、とそれについては悲しくなります。
でも、たぶん今まわりにいてくれているひとたちは、

そこを「よい」としてくれています。


なんて幸せなことだろう、と思いながら、
「世界は自分の内側が映し出されたもの」というのを思い出すと。

うわっと腑に落ちます。


まわりに「一定にしろ」「気持ちのコントロールをしろ」と言われていたとき、
私は自分に繰り返し繰り返しその言葉を投げ、責め続けていました。

それが苦しくて身体はパニックを起こして「無理!」と訴えてくれていました。
あのときは気づけなかったけど。

https://www.instagram.com/p/BGatzqSjcU4/

(いろいろあるよね~みんなね~と思う朝です。)


今は、くるくる変わる自分の感情をゆるしちゃっているので根本的に大丈夫。
くら~~~~~くなっても、また明るくなれることを知っているのは強いです。

これが私なりの「性質」への付き合い方なんでしょうね。

(そして、それがそのまま私とまわりの付き合い方でもあるんだはず。)

 

パニックはね、悪いものじゃないんだよなぁと思います。
気持ちが無理をしてたり、嘘をついてたり、本質とずれてしまったときに、
「そうじゃないよ」
「そっちじゃないよ」
と教えてくれて、代わりに溜め過ぎたストレスをだしてくれるもの。


今もときどきなる。
でも、それは自分で自分の感情を押し殺した先になるパニックです。


こんなことで怒ってはだめ。
悲しい気持ちがばれてはだめ。
というような。


わりと短気なので、簡単なことについてはすぐ怒ってすぐ忘れちゃう。
ただ、大きな出来事や、他の好きなひとがそこに関わっていると、途端に怒れなくなる。

私が怒っていると、あのひとは許せないままだ。
私が悲しんでいると、あのひとは罪悪感を抱えてしまう。

そういう気持ちなんだよなぁ~と、頼まれてもないのにね、と自嘲したくなります。

https://www.instagram.com/p/BBmTmd_jcZs/

へへへっつって。

 

でも、許せないものは許せないよ、とも思っています。
いくら形で終わっていても無理なものは無理だ、とあきらめています。

これについては、たぶんもう少し時間がかかること。

もしかしたら、器をひろげてくれている感情なのかもしれない、とも思って。
あとあと誰かの役に立てる経験かもしれないし。

ときどきやんなっちゃうけど。超ときどきだからまあよし。ばーかばーか!

https://www.instagram.com/p/BBIct5ujcUp/

全部は筋トレ!

 

んとと、話がずれちゃった気がします。


今日の記事で伝えたかったのは、たぶん、どの感情も味わっちゃえーということ。


怒っていいよ、かなしんでいいよ

と同じくらいに

喜んでいいんだよ、楽しんでいいんだよ

も伝えたい。


そして、それをいっぱいいっぱいこれからも実践しようねって自分と話した朝でした。

不安も期待もワクワクもドキドキもうきうきもヨロコビも悲しみも。

全部全部まるっと包んで日高春奈というひとだから。


そして、それはみんなそうなんだと思うから。


自分が一番大切、みんな自分が一番大切、がいいなって思います。
そしたらお互いを大切にするの簡単だから。


そのなかで、自分のこと傷つけてくるひとはスパッと切って離れてしまえばいい。

だって一番大切なのは自分だから。

わざわざ傷つけられにいく必要ないわけです。

 

今日も今日とて、そういうことの練習です。

https://www.instagram.com/p/BBWdExaDceB/

時々ころんじゃうけどね。

 

喜びを感じるのは得意、楽しさを感じるのも得意。
怒るのも、哀しむのも得意。

あとはもうすこし、自分へ期待できるようになりたい、なろう。

 

これ書きながら、おばあちゃんが夜にリビングでぽろっと話してくれたことを思い出しました。

「あなたを見てるとね、本当に血がつながってるのかって不思議に思うことがあるのよ。」

おお、っとびっくりしたのを覚えています。

「私はあなたのように感情が大きかったり多かったりしないから。」

と言葉を続けてくれました。

これも昨日書いた「ある」と「ない」の話だなぁって思います。

 

www.pidakaparuna.space

 (よかったら読んでね!)

 

だって私はおばあちゃんのことすごく羨ましくて、
なぜそんなにいつも穏やか(せかせかはしてるけど)なんだろうと思っていたから。


みんながみんな自分みたいだったら世の中はうるさすぎるし、
自分のまわりにいるひとたちがみんな自分みたいだったらノイローゼになるし。


そんなわけで、

この世界は、いい塩梅だ!

と思う朝でした。

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世界をくるくるまるめて抱きしめて愛をつたえたい!

本当にいい塩梅につくってくれてありがとう!超たのしいよ!

 

読んでくださってありがとうございます!

あなたの感情はたぶんだれかを助けてるから、思いっきりだしたらいいと思います。

怒っていいんだ、めんどくさがっていいんだ。

楽しんでいいんだ、よろこんでいいんだ。

からだぜんぶで、気持ち全部で生きたらいいんだ。

いえーい!


いつも笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりの自分を、

まるっと受け入れてくれるひとびとに感謝して!ありがとう!

今日もいい日になった!やったね!

 

ってマヤ暦も言ってくれてるわけですから。

マヤ暦ちゃんと勉強したいよ~~~~。しよう!

 

あ、美輪明宏さんbotもいいこと言ってたよ!

ぜったいそうだね。


9月の切り替わりまで、あとすこし。
よく生きよう。

ポジティブは、なるものではなく、選ぶもの。

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