「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「あなたの人生は一度きりで、あなたの人生の主人公はあなたしかいない」という大きな愛とヨロコビの話。

 

おはようございます。見に来てくださってうれしいです。

 

f:id:pidakaparuna:20160815100932j:plain

 


先週の土曜日に行った「女のひと、として生きるとは」のイベント。

そのなかで心にのこったことはいろいろありましたが一番は自己紹介のくだり。

 

www.pidakaparuna.space

 

 

未来から過去へと時間は流れている、という感覚を教えてくれたのはびわっちさんでした。

本屋さんで実際に手に取って、「あっ」ってなったらぜひ購入してください。
紙と表紙の触り心地がいいんです。

 

 

未来の?わたし″を思い出す 愛される心のつくりかた

未来の?わたし″を思い出す 愛される心のつくりかた

  • 作者: びわっち,TAIZO,中田しのぶ
  • 出版社/メーカー: ヒカルランド
  • 発売日: 2016/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 


今日の話は、まだわからない話。
でも、書いてみたいなって思って書き始めてしまった話、です。

いろいろ書いたけど、最後のとこ読むと、なんとなく伝わるかと思います。

 


・住んでいる家
・生きている世界
・こんなのって

 

住んでいる家

 

海の見える場所で、でも、とっても涼しい少し広い平べったい木造の家。
カーテンは白くて、窓は大きく、その窓の向こうはウッドデッキみたいになってて。


冷蔵庫は大きくて、テレビはなくて、でもプロジェクターはあって映画を見たりして。

ベッドも大きくて、頭側にブーゲンビリアが描いてある大きな絵が飾ってある。鮮やかなピンク。

家具は木とガラスでつくられたものばかり。
どれも「ちょうどいい」サイズ。

https://www.instagram.com/p/BDsfy1wDcUp/

 

寝室と、リビングのほかにあと一部屋あって、そこにはいろいろなひとが泊まりに来てはまた出てく。

wi-fi完備!笑


泊まりにくるひとには朝ごはんも出してあげる。

お風呂はまーるい形で、大きい湯船。オレンジとか黄色のタイルで飾ってある。


ふかふかのタオルがいっぱいあって、お風呂でたら大きな鏡。


屋上は特別。

ちょっとだけスペースがあって、寝転んで星が見られるような場所。


あ、台所には大きなオーブン、ちゃんとしたオーブン。
パウンドケーキも、ロールケーキのためのうすい四角いスポンジも、丁寧にむらなく焼けるような。
シュークリームのためのシューを焼いているときに、ちゃんと絶妙なタイミングで取り出せるような。

 

生きている世界


この家に住むのは、修行がおわり、世界一周から帰ってきた頃。
この場所には他にも何人かその頃にまた帰ってきた人が住んでいて、みんなでわいわい暮らしていて。


帰ってきたあとも、ラートのパフォーマンスを月に1、2回披露してる。
そして体操部の指導も続けてる、こっちは月1くらいだけど。

大会にはもう出てない。


世界一周で考えたことと写真を合わせて本の形にまとめている。
それが主なお仕事。


カラーセラピーは家を拠点にして、そこにお客さんが一日に2人くらいくる。
こない日もある。いっぱい予約のある日もある。

時々マッサージも付け加えたりする。必要があれば。
適当なお昼ご飯も一緒に食べる。

 

https://www.instagram.com/p/BF8frLADcVo/

 


こんなのって


こんなのって、「こんなのって」に凝縮してしまう気持ち。
わざわざwebにのこすものでもないかもしれない。
っていうかないでしょうね!

なんで書いて公開しようとしてるかぜんぜんわからない。
朝の瞑想をしたあとに、すらすらと書き始めてしまったので、そういうことなんだろう、とこの葛藤については流します。

 

 


最近、なんとなーくなんとなーく心地の良い方に人生が動きはじめた、動かすことを決めた自分がいて。

やりたいことをやろう、と決めた自分がいて。

それは「パフォーマーになるぞ!」とか「世界一になるまで続けるぞ!」とか。
なんていうんだろう。
そういう大それた感がない、というか。
頑張るという言葉がいない世界。

もちろん努力はそこにあるんだけど、それはとても苦しく悲しいものではなく、たのしいもの。

私はラートと一緒にもう一度、舞台に立ちたい、という気持ちを大きく持っていて。
だけど、それは、私はラートと一緒にもう一度舞台に立っているだろう。という決定事項でもあって。
その決定事項が実施される時期はわからない。
でも、もう決定してる感はすごいんです。


来年の四月か、来年の夏に大学を卒業する。
そのあとのことはまだ何も決まっていないに等しい感じ。(ちょっと決まってる。)

 

だけど、どうなるか、わかっていて、どうしたいか、も、わかっています。


もっとラートが上手くなりたい、大勢のひとに見てほしい、見て喜んでほしい。
ラートだけでは退屈させてしまうかもしれないからダンスも勉強したい。

言語化が楽しくて楽しくて仕方ないからブログ本当に1000記事書きたい。
ゆんたくイベントや、カラーセラピー、コラージュセラピーで「生きやすさ」を確認したい。

「何者でもない」私たちが発信をする意味をつくりたい。
その発信をまとめて、高校の頃の自分に届けたい。

自分の「いきたい」社会は選べると確信したい。
そしてそこに辿り着くまでの過程をのこしておきたい。


ラートがうまくなりたいっていう気持ちは、なんていうか潜るような気持ちで今までのラートへの気持ちとは全く違う。
ひとつひとつの技が大事で、つなげられる自分がうれしくて誇らしい。
もっと難しいことできるようになりたい。


全部「したい」とか「ほしい」って書いてあるのは便宜上。
できるのはもう決まっているなぁとよく思います。
うまくいえない感覚だけど。

 

https://www.instagram.com/p/6fP-coDcUC/

(でも細部や、実現の過程はしらないから、ドキドキ超たのしみ、なわけです。)

(ボルダリングもだけど、人間ほんとに楽しい。)


昨日ちらっとツイッターには書きました。
この気持ちにもっと早くなれたらよかったと、早く「やりたい」はやればよかったと。
踏み出すことはこんなにも簡単で、踏み出した先にこんなに楽しい世界があったのか、と。

その踏み出す、も大きなことではなくて、ただただ自分を大切にする、自分の気持ちを大切にするということ。
(練習もたくさん休んでみたし、勉強もやってみた、やらないことも選んだ、トポセシアのこともそう、なんでも、食べたいものも、一緒にいたいひとも、したい話も。)

徹底的に自分を大切にし始めて、こんなに「生きたい」と思う自分に出会いました。


けど、昨日の夜はとても沈んでいて。
さみしくてさみしくて、ふとんに入った後しくしくと泣いていました。
おなかも痛くなるし、ひとに迷惑をかけてばかりな気分になるし、何もできない何もしたくない、と思って。

でもその自分も自分で。
あの頃にたくさんたくさん悩んでくれたのも自分。

全部の自分がやっと一か所に集まって、大きなまるのなかにはいってくっついてくれた感じがしてとてもホッとしています。

 

https://www.instagram.com/p/yJdlSLjcRK/

(悲しいときは悲しくていいわけです。)

 


「生きたい」ベースになれたのがまず嬉しいこと。
そして、さみしいや悲しい、苦しい、と泣いてる自分もその「生きたい」をより豊かにするための存在と思えるようになったのも嬉しいこと。
ずっと放ったらかして、ないものにしていたあの頃の自分を抱きしめていられるのも嬉しいこと。


そして、それが外のコミュニティにも広がっている感じがして、それも嬉しいこと。
私の周りにいてくれるひとたち、ある会話、ごはん、全部が全部とてもいい感じ。


この「いい感じ」は誰にも奪われない確かな財産だと、心の底から思います。


来年の今、どんな暮らしをしているのか全く見当もつきませんが、ああ幸せだろうな、とわかります。
それがここ最近一番のヨロコビです。

 

https://www.instagram.com/p/BAM40OBjceg/

(大丈夫だよ、と抱きしめたい、抱きしめられるために時々悲しくなるのかもしれない。)

 

こんな超個人的な記事を読んでくださってありがとうございます。

読んでくださった方の「やりたい!」を全力で応援しています。
何か力になれそうなことがあったらぜひコンタクトを頂けたら嬉しいです。


いっぱいいっぱい愛してくれるまわり(距離関係なく)のひと
愛してくれたひと、愛そうとしてくれたひと、にありがとうをたくさんこめて。

というか、周りに存在してるひとみんなにありがとうなので、なんていうかこういうことが言いたい。

 


生まれてきてよかったなぁと思う日がくるとは思っていなかったので。
今日は何かイベントがあるわけでもなんでもないのに、なんだかもう一度生まれた気分。
毎朝あたらしい自分がうまれる、という言葉は本当なんだなって思います。

 


今日もすばらしい一日になった!
悲しくてもさみしくても、それが必要なことだからさみしくて悲しい。
味わいきることにトライします。


この「なった」ってわかる感覚。
ラートでたとえると、大好きな斜転にフリーフライで入るとき、その入った瞬間にそのあとの技たちがつながっていくか、無理かがわかるのに似ています。
はいった瞬間、ベルトを締めなおした瞬間「よし行くぞ」と思った次の斜めになった瞬間にわかります。

でも「無理」だった回、その失敗して落ちるときも、ぜったいに無駄じゃないのがやっとわかって。

(いや、いろいろおせーよ!とは自分でも思っています先輩方!)


その失敗、無理だった、悔しい、のなかに、ぜったい「うまくいく」ためのポイントがあるんですよね。

それってすごいことだなぁと思うわけです。

すごいこと!

 

f:id:pidakaparuna:20160815101953j:plain


なんだかんだで長くなっちゃった。

幸あれ~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

今日はバリバリやる日!マヤ歴さいこうあやさんありがとう!