「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

底抜けに明るく(?)なるまでの過程の話。(死ぬなんて言うなよーって直接言えるほど図々しくなれないからブログに書きました、の話。)


自分の足りないところが嫌いでした。
今もまだ、少しだけ嫌いになるときがあります。

以前は、ほとんど憎んでいるといってもいいくらいに大嫌いでした。


「ちゃんと」生活ができないことが特にコンプレックス。
大学の単位を出席を理由に落としまくっているのも。
気分に合わせて体調が左右されるところも嫌いです。


そして、自分が足りないと思っているところをやすやすとこなしてしまうひとに嫉妬します。

ちゃんとできるひと。
気遣いの上手なひと。

あんなふうになりたいのに、と自分を責めます。

そんなことを繰り返しているうちにすっかり自分はいじけていました。


どうせ、あんなふうにはなれない。
どうせ、こんな自分ではひとから好かれない。


そうやって隅っこにうずくまっていました。


つい、こないだまで、そうやって生き続けるつもりでした。
いじけていじけて、自分をいじめることで何かから身を守っていました。


でも、ふわっと、そんな生き方を続けるのをやめてしまいました。

それからとても気持ちが楽です。
息をするのも。


そうなるまでの過程を、なんだか今書き留めておかないと忘れてしまいそうで。
記事にして残しておこうと思います。

(今書き終わったけど、結局書きたかったの最後のところってわかってびっくりしました。今回の記事、自分のためにしか書いてない…。)


・何から身を守っていたのか
・きっかけたち
・これから

 

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いっぱいいっぱい大好きやらありがとうをこめて。

 

何から身を守っていたのか


自分を責めて、泣いて、いじけて、また責めて、の過程を思い返すと複雑な気持ちです。
あの頃という形容ではまとめきれないくらい長い時間でした。

小学4、5年生から大学1年生の夏くらいまでの時期、ですね。

そう、それで、そのときにしていたことを書き連ねても、暗い気持ちになるので割愛します、が。
状態についてはぼんやり書いてみよう。

小学生のときから中3までは、自分のせいでいろいろなことが上手くいかなくなってしまったようにしか見えなくて。
それから高2までは、自分の存在がたくさんのひとの幸せを奪ってしまっているように感じていました。
自分さえいなければこんな状態にならなかったのでは、と毎日自分に聞いていたのが、受験生として生活していた頃。

あーぁ、なつかしいなぁ。

全部まるっと抱きしめてあげたい!自分だけど!
あと、ばかだねぇと言ってあげたい。大馬鹿です。
(どっちも周りにいてくれたひとたち、たくさんたくさんしてくれてたのにね!)
(いっぱいのありがとうを込めてこれを書いています。)
(ありがとう。)


どうしてそのループのなかにいたんだろう?と考えてみると、するすると種明かしができる今の自分がいます。

 

https://www.instagram.com/p/BAM40OBjceg/

(小さいころの写真、あんまりない、3枚くらいだね。)


それは、本当にシンプルで、「愛されたかったから」に尽きます。
(いろんな言葉を「」に当てはめてみましたが、これが一番しっくり。恥ずかしいけれど…。)

まあようするに、究極のかまってちゃんだったわけです。

でも、これ、誰に?っていうと。
それは、その環境に、というのではなく、自分自身に、だったんですねきっとね。

人をつかってそれを伝えようとしていたんだね、と今だとよくわかります。

だって、もしあの頃の自分に会えるとしたら「今目の前にあること、全部あなたのせいじゃないから!思い上がらないこと!」と言います。
「みんな自分でいっぱいいっぱいなだけだから!」とツッコミます。

だから、自分のことだけを見て、大切にして、愛してみてよ、と話しかけます。
ワクワクすることに素直に飛びついて、夢中になってみなよって。

そう、自分のこと大事にしてあげて、全部あなたのせいなんかじゃないよ、愛してるよ、大丈夫。
これらの言葉、私はあの頃、自分をいじめてそれを他のひとに見せることで、ちゃ~~んと、外から言ってもらっていたわけです。

 

(あのころ一番好きだったのはピアノと本を読むこと、お話をつくって妹に聞かせることだったね)


100%この理由ではない、です。
もうひとつあります、それはあまり人に言えるような感情ではないけど。


先に責めることで「本当に自分のせいだ」ということを誰かから言われないようにしてた、んですね。
ひ~~~。

先に自分を責めて責めて責め抜いてしまえば、誰も更に「そうだお前のせいだ」とは言わないから。
そう言われたら、もう、全部どうしようもなくなってしまうってこわかったんだと思います。
少なからず自分のせいだという自覚があったから。


ちなみに、いま思い返していても、やっぱり自分の弱さや卑しさみたいな部分のせいだった出来事もあったなぁと思います。
ごめんね!

 

https://www.instagram.com/p/_69WslDcR0/

(ごめんねって気持ちが強いとき、たいてい動物に好かれる、なぞ。)

 

きっかけたち


さて、すっかりどんより暗くなりましたが。
そんな状態を抜け出せるきっかけをくれたきっかけは大きく分けて三種類。
「ひと・言葉(本)・場所」との出会いの三つです。


さっき書いたみたいに、そのときの自分が欲しかった言葉をひとから言ってもらっていた時代。
あの時代にたくさんの愛情をひとからもらって、それがだんだんと固くなっていた気持ちに染み込んでいった頃に。
「あれ、ほんとにいいんじゃね?好きなように生きて大丈夫なんじゃね?」という自分がでてきたわけです。
ぽんっ!とね!


もう何百回と同じこと言わせてごめんなさい!言ってくれてありがとう!という気持ちでいます。ひ~~~。


これね、実はそんなに前に終わった話じゃなくて。

先月運営をお手伝いさせて頂いたびわっちさんのイベントの打ち上げで、まこさんに「生まれてきてくれてありがとうね」と言われただけで大号泣。
え~~~まだその言葉ほしかったん??ってびっくりする自分と。
最後の塊が溶けていくのを静かに感じている自分がいました。
あの瞬間たしかに私は癒されて、そしてそれまでの10数年抱えてきた淀みを流すことができたんです。

ひととの出会いってすごい。

 

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他にもたくさんのひとに「愛してるよ、大丈夫」「大好きだよ」「才能いっぱい!」「人生バラ色!」
といっぱいいっぱい言ってもらえて、そのおかげで今の底から明るい自分ができあがっています。
ありがと~~~~~~!!!!!

 

小さいころに愛着形成がうまくいかないと、「愛情」という壺の底に穴があく、と精神医学の本にたびたびでてきました。

でもね、その穴ってふさがるんですよ。だから大丈夫。

そして壺があったことも忘れちゃうくらいだばだばに愛されるんですよ。

すごいよね。

 

そして言葉、本との出会いですね。
これについては、今回の記事が思ったより長くなっちゃったから次の記事にてまとめたいと思います。
主に「能力」の話です。

 

最後は、場所。

もうこれは何度も何度も書いているけれど、体操部やトポセシア。
そして血のつながり関係なく出会った家族のひとたちのお家。
影響をいっぱいいっぱい与えてくれた師匠たちと出会った場所たち。

そのひとたちと出会えたから、そこに滞在することができた「居場所」
そのすごく大きなパワーで、私のなかにあった淀んだドロドロはすっかりクリアに。
離れた場所も、思い浮かべただけで気持ちが安らいだりします。

 

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(わりと人生がばれちゃう内容ですね、誰もいやな気持ちになりませんよに。)


「あの頃」に比べて、身体の調子はよくなるし、やりたいことはいっぱいになっちゃうし。うんうん。
いつもそういう状態でいられるわけじゃないけど、だめになっちゃったときにも「そういうときあるよね~」といえるくらいに穏やかになりました。いいこと。

 

これから


今の自分のことは、けっこう好きです。(けっこう大好き。)

それは今までもらってきた言葉や経験の積み重ねがそうさせてくれたんだと思います。

今日書いてみたいろんなきっかけ。
そして、今、まわりにいてくれる個性豊かな友人たち。

そんな要素がきっかけになって、今までもらってきた愛をようやく理解して。
そして、誰も自分を責めていなかったことにも気づけました。

一番自分をいじめていたのは自分っていうことも。
自分が自分を愛してたら、誰も自分のこといじめないってことも。

 

https://www.instagram.com/p/_6sK9pjceM/

ふふふ~。


自分だらけの記事になっちゃったなぁ。
これを書くことでどう、とかそんなんじゃなくて。

みんな本当は大丈夫なんだよなぁ、といろんなひとの相談にのりながら思っている気持ちから。
そういえば自分はどうして「大丈夫」になったんだっけ?と思って。
それを書いておこう、と思ったんだと思います。(不確か)

 

毎日毎日泣いて、引きこもって、自分を傷つけ、癇癪を起こしてたくら~~い毎日。
そこから本当に少しずつ顔をあげ、だんだんその淀んだ場所から歩き始め。
今、立っている場所は空気が新鮮でとても自然の豊かな、そんな愛おしすぎる場所。


これから具体的にどうしよう、と思いあぐねるときもあるけれど。
でも、たぶん、こんな気持ちが元にあれば、なんでもできるよね、とも思います。

読んでくださってありがとうございます。

一番しんどかった時期にたくさんの愛をくれてありがとう!の気持ちで書きました。

 

https://www.instagram.com/p/9tmcvCjcWx/

高校時代のこともよく思い出しながら書きました。みんな元気かな~。


こんな記事、公開しても、世の中にとってなんの役にも立てる気がしませんが…。

もし、今、自分のことをいじめていじめていじめ抜いているひと、最早それが趣味みたいになっている人がこれを読んだときに、「あ、」ってなってくれたらいいなって思っています。
だって私は知っているからです。
そんな風でも大丈夫だということも、そこに立ってるだけですごく愛されているんだぜってことも。
(愛してるんだぜっていうことも)

全部全部うまくいくようにしかできてないから。
安心していじめぬいてくれていいんだけど。
でも、いじめ抜くのに飽きたら。
まわりのひとのくれる言葉を受け入れられるようになったら。

そのときに、あなたのその素晴らしい才能をいーーーっぱい咲かせてって言いたい。
自分のこと見くびってんな!と叫びたい。

私にできないことをあなたはできるのに、と言ってみたい。
そこ羨ましいって思ってるって伝えたい。

底なしにやさしいところも、甘えたいのにうまく甘えられずに大丈夫って言っちゃうところも。
つくってくれるご飯の味がおいしいのも、疲れてるときに会いたくなるのも。
足が痛くなれば寝付けるまでマッサージしてくれて嬉しかったことも。
本当はいっぱい意地悪なことしたの謝りたいし、ありがとうも言いたい。
全部全部言いたい。

やりたいことはやらないと、あっちゅう間に死んじゃうんだぞーーーーと。
自分で死にたがってる場合じゃないんだぞーーーーと言いたい。

死なないでほしいと言いたい。

大好きだと言いたい。


言いたいけど直接言えないことばっかりです。ばっかり!ばかばか!

だって、あまりにおこがましいって思うから(いやまあこの記事ほんとにかなりおこがましい記事なんですけれども)
死にたいのも、そのひとの自由ってわかっているから。

でも、死なないでほしいって思ってるよ、の気持ちでいっぱいです。


おしまいっ

 

読んでくれてありがとうございます!