「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

発信する、というこわさ。(と、反応をもらえるヨロコビ)

物事の旬は短い、とよく感じます。

 

やりたいと思った次の瞬間には、もう別のことを考えています。

特定の料理、今だと茄子の煮びたし、それを食べたいと思ったのに材料が売ってないと、他の食べものに頭も気持ちも切り替えます。今ならトマト。夏だから。?

 

一日中、一緒にいても飽きることのなかったひとに飽きてしまったり、

(これは割りと長期的な「旬」である場合がほとんど)

そういう俗っぽいものを除いても、なんにせよ「旬」は短い、とっても。

今日、さっき、旬を感じた「発信」について書いていきます。

 

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ブログ、何でも書きなさい

とにかくたくさん書きなさい

下書きはいつまでたっても下書きでしかない、0と同じ

、と立花さんに習いました。

 

1000記事書いたら奇跡が起きるよ

平原さんに教えてもらいました。

 

でも、未だに、自分の頭の中では「発信すること」について答えが出ていません。

発信、何のためにするんでしょ。

 

日高春奈を知ってもらうため?

ラートのお仕事をもらうため?

ラートの資金作りに協力してもらうため?

なんだかもっともっと下のほう。

 

発信の種類もたくさんあるから、迷ってしまうのかもしれません。

今、私のしている「発信」はこのくらい。

 

しゃべる

話す

食べる

服を着る

ものを買う

人と会う

SNSに投稿をする

SNSに全体公開で投稿する

ブログを書く

 

今、上に書き出したものは三種類に分けることができますね。

 

しゃべる、話す、は軽いか重たいかの差。

自分の考えていることが口から外に出て、そして誰かの耳へと伝わります。

話すはもう少し脳みそをつかうイメージ。

しっかり組み立てて、どのように耳の先にある相手の脳みそに届いてほしいのかを。

 

 

次。

食べる、服を着る、ものを買う。

これは消費活動、とでもいいましょうか。

「何」にお金を渡すのか。

何によって身体的なエネルギーを得て、何を纏い、何を大切に思って買い物をするのか。

誰といると心地よく、誰といると落ち着かないか。

そのひとの姿によって発信されることが多いですね。

 

最後、インターネットを用いた発信。

これについて考えるときいつも頭に浮かぶのは批判的な声です。

「それは、全世界に向けて発信する必要性があることなの?」

要するに、公開するような内容ではない、チラシの裏で十分なのでは、という指摘です。

 

私にはわかりません。

誰かにとってはチラシの裏にでも書いておけよ、と思うような文章が、

誰かにとってはバツグンに効く無料の薬かもしれない。

そんなことを多く経験したせいかもしれません。

そう、そう思うと 「発信」は多面的で、かつそれを行う主体には有益無益についての判断がつかないもの。

なのかもしれません。

初めて結論がでました。

 

ブログを書く目的をセルフブランディングの実践から、思考の整理、にすることにします。

それがやがて、お仕事になり、私の人生を更に豊かにしてくれたら嬉しいなと思いながら。

 

誰が読むんだ、というような内容を、全世界に向けて。

沖縄のまんなからへんから。 1000記事目指して書いてみよう。

奇跡、起きるでしょうか? 読んでくださってありがとうございます。

 

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今日はマヤ暦でいうと、愛し合い、ゆるしあう日。

私は「誰かと」というよりも、自分とそれをしたような気がします。 とにかく今日も今日とて幸せでした。

マヤ暦管理人のあやさんと長電話をして、言われた言葉

「幸せになろうね。」

を心に染み込ませながら。

 

また読んでください、おそらく明日!おそらく。