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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

くもりだ。

 

なんだかすごくくたびれてしまって、布団の中にはだかんぼのままでうずくまる。

 

なんだかすごくくたびれてしまった。

 

こういう曇りのときは、わからないことが多い方がいいと思う。

 

感じていることが全部勘違いなら、わからないほうがいいなーと思う。

せめて、感じたことを「ただ感じている」と謙虚に受け止められる人間性が欲しいと思う。

 

そういう人間性が持てない自分を責めている自分に気づく。

 

でも、それは別にわるいことじゃない。

あかるいとき、くらいとき、どちらもあるからいいとも思う。

 

くらいとき、このあとあかるくなる自分を想像して少し笑ってしまう。

 

こういうとき、くもりのときは、心が、身体がすかすかとしてしまう。

まだ小さかった頃、背の高さまである曇りガラスの窓の外を見ながら、雨だなぁと思っていたのを思い出す。

 

思い出した後に、なんだかすごく大人になったなーと感慨深くなる。

 

そしてまたくたびれて眠る。

 

こういうの「センチメンタル」というんだろうな、とひっひっひっと笑ってしまう。

おかしくて笑ってしまう。

 

こんな文章をブログにしちゃって公開しちゃって後悔も特にしない自分も笑ってしまう。

 

昨日は、ホリエモンの本を読んでた。

「言い訳してんじゃねーよばーか」

みたいなことが主に書いてあった。

 

ほいで、大事だなぁと思ったのは「バカとプライドないやつが一番すごい」みたいな言葉だった。

(まあまた今度ちゃんと記事にまとめてみる。)

 

そりゃそーだ、と思う。

 

バカとプライドないを合わせると素直になるんじゃーないかな。

素直には「なるぞ!」と決めてなるんだよね。

 

だから、バカと素直さはいっぱいある。

ああでも、ちょっとプライドは腐っちゃってるから、なんか、こうこの曇りが早く終わって、しゃんと雨に洗われて、しゃきっと新しいプライドになれたらいいな。

 

はだかんぼのままお布団のなかにいると、少しだけ、少しだけいつもよりももっとすなおになる。

 

いつもの「素直さ」というのは、選んでそういう状態にいる。

 

少しだけ、えいや!と意気込んで素直になっている。

(言い換えれば、あざといし、計算づくだし、天真爛漫ぶっている、のだと思う。)

(だからわたしは別によくいわれるような天然ではない、よくいわれるけど、すっとこどっこいなだけだ。)

 

こうやってお布団のなかにいる間は、悔しさも、切なさも、しんどさも、悲しみも、寂しさも、不安も、期待も、妄想も、明るさも、面白さも、楽しさも、喜びも、全部がまざって、優しい色の自分になる。

 

その自分を責めちゃうときもあるけど、ひとりでこうやっている間は、別に責めない。

誰か、特にわたしの周りには、わたしよりもすごいひとしかいないので、ひとと会っている時、わたしはどこか自分を責めている。

 

でも、まあ、だいぶそういうの減ったな~と思うけどね。

みんながいっぱいの褒め言葉をくれるおかげかもしれない。

 

もちろん、ひとといる間ず~っと自分のこと責めてるわけでもない。

だいたいはすごくたのしいと思ってる、本当だよ。

 

そう、ひとと共有する時間も宝物だ。

昨日もいっぱい遊んだ。

かくれんぼも、片足立ちも、筋トレ対決も、ビールも、ワインも、帰り際のハグもとても宝物だ。

(大人も子どももごちゃごちゃとしている空間って居心地がいい。)

(たぶん、ルールらしいルールがないからかもしれない。)

 

ひとと共有する時間と同じように、ひとりでいられる時間もやっぱりきらきらとしている。

 

あの賑やかな色合いの輝きではないけれど、ひとりでいられる時間ってありがたい。

 

誰とも会話せず、くもりだなぁと思いながら、ウクレレぽろぽろ弾きながら、くもりだなーと思う。

そういう時間はありがたい。

 

こういうときにちょっとだけホッとする。

 

話して話して話して、考えて考えて考えて、動いて動いて動いて。

その毎日のなかでくたびれた自分と出会うとホッとする。

 

それはなんていうか、生きてるね、という確認作業みたいなものだと思う。

 

あかるいとき、くらいとき、どちらもあるからわたしらしくいられる。

気弱になる自分も好きだ。

気が強い自分も好きだ。

 

そんな自分を「かわいいね」と言ってくれる人たちが好きだ。

 

好きな人たちのなかで生きていくことを選ぼうとしている。

それは逃げかなと迷ってる自分もいる。

 

だけど、でも、そうじゃない気がする。

 

このなが~い雨が終わったら、答えがよく見えるかもしれないなぁ、と思う。

 

そんなことをぼんやり、ゆっくり考えながら、雨のにおいをかぎながら、ふわふわのお布団にくるまってはだかんぼで眠る。

 

来年の誕生日、23歳だけれども、そのときわたしはたぶん、今のわたしの悩み事をまるっと包み込んで大笑いしてる。

 

大丈夫だよと頭を撫でている。

 

そういうもんだ。

起きたら、水を飲んで、考え事を整理して、ウクレレ練習しよう。

明日はサトウキビを収穫して黒砂糖にする日だ、たのしみだ。

 

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読んだ本たちメモーホリエモン

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

 
好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

 
ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

 

 つい買っちゃった本メモ

ハリネズミの願い

ハリネズミの願い

 
うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

「大人になる」と決める。

大人だって泣くぜ

大人だってこわいぜ

大人だってさみしいぜ

大人だってはしゃぐぜ

 

子どものままでいたかったけど、そういうわけにもいかなくて、そういうもんだなぁ、と思うわけだ

 

今日はなんだかすごいさみしくて、すごい焦ってる日だった

 

もう日がくれたから、明日のことを考えているけど、今日はそういう日だった

 

 

パートナーの内定が決まった

とても嬉しい

ほっとした

 

 

わたしは、とても嬉しい

 

 

友達と「結婚」について話した

その友達のこと、とても好きだといつも思う

 

「結婚は、サンタクロースみたいなものだ」

 

彼が言った

 

すごくよくわかる表現だと思った

 

 

結婚したら幸せになれるわけじゃない

 

結婚は目的にするようなものじゃない

 

 

そして、結婚したからといって何一つ変わらないのだ

 

結婚したからって、相手と自分が唯一になるわけでもなく、結婚したからといって一生一緒にいられるわけでもない

 

 

だからやっぱり、「結婚は、サンタクロースみたいなものだ」という言葉が好きだと思った

 

 

わたしはとても好きだと思った

 

 

今日のほとんどは英語の文献とにらめっこ

 

税ってなんだ、国家ってなんだ、政府ってなんだ

 

 

政治の話をしていると主語をどうするかときどき忘れてしまう

 

 

いつまでいったって「わたし」が主語なのだ

 

それを忘れると足元がふわふわしてしまう

 

 

「変わるといいね」

「よくなるといいね」

 

じゃいつまでたっても何も変わらん

 

ひとりひとりの理想は違くて良いから、いっぱい話していっぱい動くこと

 

 

それが大事だと、政治の話をするといつも思う

 

 

わたしは今日、とても頭をつかった

 

 

左足がちょっと前からすごく痛む

ときどきびっこだ

 

 

おかげでラートについての考え事はしないですむ

ありがたいことだ

 

 

 

大人になると決めたのは、ちょっと前のことだった

「もう、大人になろう」

そう決めて、大人になった

 

子どもの頃は楽ちんだった

 

 

人のせいにできたからだ

 

 

こんなに寂しいのは、こんなにつらいのは、あのとき、どのとき、そのときのあれだって説明をしていた

 

 

でも、そうじゃないんだ

 

 

 

大人になったって、さみしいもんはさみしい

 

フラカンのうたを聴きながら、本当にそうだと頷いた

 

 

だって、そうじゃないんだ

 

人間ってそういうもんなんだ

 

 

何歳になったって、しわくちゃのばばあになったって、さみしいもんはさみしいし、つらいことはつらい

 

 

でもたぶんやっぱり、うれしいこともいっぱいだ

 

 

だからいいんだ、生きていけるっていうのはいいことだ

 

 

いっぱいのことを感じられるこの体も心も大好きだ

 

 

もう、誰のせいにもしない

 

その決意が、「大人になる」ということだった

 

自分の人生を生きるんだ

この命を「がまん」のためにつかわないんだ

 

 

そう決めた

 

 

今やってること、全部どうなるかわからない

 

「全部うまくいかなくなって、誰一人のこらなかったら」

 

その言葉をきいたとき、さみしくて泣きそうだった

 

 

でも、そうなるかもしれないことも、受け止める

 

そうなってもいい、それさえも自由だ

 

 

だけど、そうなったとしたら、それは「もっといい」があるサインだから、それはそれで安心だね

 

 

生きていくことは、思ったより面白い

 

10年前の自分にときどきこっそり伝えてる

 

 

その失敗も、その苦しさも、いっぱい味わってくれてありがとう

 

 

大人になるっていうのはいいもんだ

 

 

生きてるっていうのもいいもんだ

 

 

焦ってもいい

形にしたくて必死になってもいい

 

 

わたし、今必死だ

 

 

泣いちゃうくらい、伝えたくて伝えたくてわめいてしまうくらい

 

今を生きること、自分の人生を生きることに必死だ

 

 

誰のためにもならないことかもしれない

 

でも、きっときっときっと、あの頃の自分はわかってくれる

 

そして、未来の自分も、にやにやしながら待ってる

 

 

「どうもありがとう、それを体験してくれて」

 

「おかげさまで、こんなにすんばらしいことになってるよ」

 

「よくがんばったね」

 

「どうもありがとう」

 

 

そう言って、にやにやして待ってる

 

 

だから、今日も必死で、明日も必死で、それでいい

 

 

いつか必ず死ぬのだから

 

それでいい

 

生きのこさないように、生きればいい

 

 

 

大人になるっていうのはいいもんだ

 

大人になったってさみしいし、つらいこともあるけど

 

自分の責任で生きていくっていうのは、いいもんだなぁ、と思う

 

 

でも、疲れたから今日はもう寝る

 

読んでくれてありがとう

youtu.be

好きなことをして生きていく

仕事をする

 

書いたり、見たり、聞いたり、文字にしたり、絵にしたり

 

仕事をする

 

パソコンと向かいあいながら

 

仕事をする

 

ときどき電話で連絡をする(苦手だけど)

 

仕事をする

 

たくさん話す

 

仕事をする

 

たくさん聞く

 

 

仕事をする、とても楽しい

 

まだ仕事になっていないこともある

 

でも、好きなことだ

 

 

好きなこと全部が仕事にならなくてもいいと思う

 

でも、好きなことだけして生きていくと決めている

 

 

仕事と、好きなこと。

 

 

「好きなことをして生きていく」

 

その決意は、好きなことだけで食べていくという意味ではない。

 

 

そう書くとなんだか濁しているよう?

 

そんなことない。

 

 

お仕事と、大好きなこと。

 

 

やがて、経験が積んで「好きなこと」ばかりになるかもしれない

 

でも、今は多くの仕事は「得意・好き」なこと

 

 

つまり、仕事にできるほど上手じゃない好きなこともいっぱいあるっていうこと

 

伝わりやすいかな?

 

 

苦手なことと嫌いなことは、どんどん日常から減ってる

 

毎日がとても面白い

 

 

出会うひとに適当なひとはいなくなった

 

それは、なんとなく生きるひとと出会わなくなったということ

 

 

考えて考えて考えて、今の自分についていっぱい考えるひと

 

そんなひとが大好きだ

 

 

人生ってなんだろう

生きていくってどういうことなんだろう

 

それをたくさん考えたひとが好きだ

 

 

そんなひとを見るととても愛おしい気持ちになる

 

そのひとの能力を褒め称えたくなる

 

 

生きてきてくれてありがとう

悩み抜いてくれてありがとう

 

そんなことをぼんやりと考えながら脳みそはフル回転で相手の話を聞く

 

 

このプロジェクトとつなげたらどうだろう

 

この会社のことは知ってるかな?

 

こういう考え方は起爆剤になるかもしれない

 

 

そんなことを手当たりしだいに紹介する

 

 

建設的ではないから「コンサル」という仕事はできないだろうと思う

 

 

だけど、なんていうか、そういう、そういうことが好きだなあと思う

 

 

目の前のひとのお役に立てるのが好きだなと思う

 

 

でも、そんなこと以上に、今自分がこうなったらいいなと思う理想の社会に向けて、一歩一歩進んでいけることが幸せだ

 

だから別に、目の前のひとの役に立てないとしても、特になんとも思わない

 

 

もし、重なるところがあるならばんばんざい

 

 

うまくいえないけど

 

「人のために」は大抵うそだ

 

 

もっともっと自分を満たす

もっともっと自分を知る

 

その先に本当の「ひとの役に立つ」がある気がする

 

 

だから、まあ結局、わたしはひとの役にたつの大好きなんだけれど、でも、それが「仕事」にしていいラインまで到達するまでにはもう少し時間がかかる

 

 

今日はそんなことを考える日だった

 

もっともっと精進しなくては!

 

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写真もね!

大学四年生がブログを一年間続けてみてわかった3つのこと

 

一年前の今日、このブログを開設した。

 

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365日経ったわけだけれども、今は394記事公開されてる。

アクセスは累計で80395pv

収入は全部合わせると一年で3万円弱。

独自ドメインとはてなproの利用料を引くと、1万円ちょっとの利益でした、主な収入源はAmazonアソシエイト。

 

最初に書いたのはラートの記事でした。

記事を書き始めたのも今日、書き直し、ひとにチェックも頼み、わかりやすく伝えたくて必死だったなぁ。

懐かしい。

 

www.pidakaparuna.space

 

その頃に気に入ってた男の子がブログで稼ぐ!みたいなのを始めてて、何それ面白いなーすごいなーって思って、わたしもやってみようと思って始めたんだ。

 

アフィリエイトのリンクも貼ってるし、一番いっぱいお金がはいったときは5千円くらいになりました。わっはっは。

 

だけどね、わたしが今回の記事を読んでくださったひとに伝えたいのはそういう「お金の稼ぎ方」じゃない。

ブログってもちろんお金を稼ぐ道具にもなるけれど、一年続けてみて、ブログの良さはそこじゃないなと思う。

 

ブログは人生をより色鮮やかにしてくれる!

それが、わたしの伝えたいこと。

そして、それはブログじゃなくてもできそうだっていうことを伝えられる気がして、今これを書いてる。

 

ポイントとしては3つ。

  1. 自分の価値観をつくりあげる
  2. 自分で仕事をつくってみる
  3. ひとに伝えることをやめない

 

1. 自分の価値観をつくりあげる

 

繰り返し繰り返し日々の出来事のなかで感じたことを文章にする。

そのときに読んだ本をまとめてみる。

知った考え方をシェアしてみる。

 

そして、それらの積み重ねからだんだんと自分の思考の傾向が見えてくる。

その傾向が見えてくると、今度はその根元にある自分自身の経験と向き合えるようになって。

 

で、その向き合っていく過程で、自分の人生においてやりたいことがハッキリと見えてくる。

 

その内容をありのままに人に話すことは少し怖いことだったりするんだけれど、でもやってみる。

 

そしたら、今、それができるような場所にたどり着けた。

それはやっぱりブログで思考を整理・発信していたおかげだなと思います。

 

2.「自分で仕事をつくってみる」

 

ブログを「経営」してみた一年間の間、いろいろなことをブログを理由に始められた。

 

本を読むことの敷居ももっと下がり(これは投資だ~という言い訳ができたから)

イベントへの参加も積極的になり。

 

何より大きかったのは、不労所得をつくるっていうのはまあわりと大変なことだなとわかったことと、それよりもビジネスをやってみることは簡単だとわかったこと。

 

そんなこんなで、カラーセラピーのお仕事、代読サービスを始め、ラートの舞台なんかもそうだね。

 

そして、書き起こしのお仕事を通じて、経営者の方達の考え方を聞くうちに自分もそういうことがしたいって思って、もしかしたら失敗するかもわからないけど、大学を卒業したら起業することも決めて今準備してる。

 

これらのことも、毎日毎日ブログを書くことで気持ちの整理や、仕事観を培い、今まで当たり前に受け入れていた既成の仕事観ではない自分の価値観をつくれたおかげ。

 

はたらくって楽しいし、お仕事って最高だ!と心から思ってる。

(ブログ始める前は不安ばっかりだった、就職できるかな・・・・・・しかり。)

 

3.「ひとに伝えることをやめない」

 

文章はね、結局うまくはなれてないと思う。

わかりづらいところいっぱいだと思う。

 

特に培われた能力もないような気がする。

 

だけど、それでも一年間ブログを続けられて本当によかった。

それはひとに何かを伝える、伝え続けるという経験ができたからでした。

 

わたしのブログを通じて「ポリアモリー」の考え方を知ってくれたひとがいる。

わたしのブログを通じて「カラーセラピー」を受けてくれたひとがたくさんいる。

わたしのブログを通じて「生き方・在り方」について考えを深めてくれたひとがいる。

 

それってなんだかすごく、生きててよかったなぁって思うんです。

 

だから8万を超えるアクセスの数字を見ながら、そっかって思ったんです。

 

いじけなくてよかったな~~~って。

 

わたしなんかの言うこと誰にも届かないかもしれん。

わたしなんかのこと誰も気に留めないかもしれん。

 

そんなのさ。

普通に考えたらそうかもしれない。

 

だけど、そうじゃない。

 

どんなひとにも「時間」は平等に流れてる。

それは、人生という形で、言葉で表現される。

 

そこに優劣なんか本当はないのに。

それをいつからか忘れちゃう。

 

小さい頃から競争することが当たり前で、効率化の先により大きな利潤を求めるのが当たり前で。

自分の人生の責任は自分にある、だから今苦しいのならそれはあなた自身の責任だという風潮がある中で。

 

そのなかで生きていると、忘れてしまう。

(もちろん、忘れちゃわないひともいるだろうけどね!)

 

人の数だけ生き方があっていい。

人の数だけ理想があっていい。

 

不安も、悲しみも、宝だ。

もちろん、喜びや、嬉しさも。

 

だから、ありのままを、自分の持てる力を出し切って表現したらいい。

それだけのことだったんだなぁって。

 

とか言っちゃっていますけれども、 ず〜っとそうは思えなかったなぁ。

 

「わたしには何もない」 

そう思ってたずっと。

ずっとね。

 

何をしてもうまくできない。

人よりよくできることも何もない。

 

そんな自分が何かできることは何もない。

 

そう思ってた。

 

でもそうじゃないね。

 

わたしにはわたしの経験がある。

 

ブログを読んでメールをくれた多くの人や、コメントをくださったひとから教えてもらった。

 

どんな考え事にも価値があること。

 

そして、それは「わたしだから」ではない。

もちろんその内容については「わたしだから」だけれども。 

この「そのひとにしか伝えられないことがある」っていうのは、みんなにいえることだ、という確信がある。

 

誰の人生にも素晴らしい価値がある。

そこにはひとつひとつの物語がある。

 

きっと、それを上手に伝えられる術を何歳になるかはわからないけれど、きっとその術をきっと身につけられる。

 

誰のなかにもタネがある。

ひとりひとり、花開くのを待っている。

 

でもタネがあることさえ忘れてしまっているひとが多い。

 

こんなのおせっかいだとわかってる。

だけれど、もしできたら、そのタネがもうすでに花だと気付いてもらう手伝いができるんじゃないかと、できたらいいなぁと、思ってる。

 

だから、ブログじゃなくてもいいよというのを伝えたかった。

別にブログじゃなくていい。

 

書くことが好きなら文章なのかもしれない。

絵かもしれないし、音楽かもしれない。

造形かもしれないし、そういった芸術系じゃないかもしれない。

 

スマホの画面の作成だって、アプリ製作だって表現だ。

 

そう、全身全霊で表現をすること。

 

そのひとそのひとにあった「表現」の方法がある。

そしてそれを見つける材料は、そのひとの人生にある。

 

カラーセラピーで会いに来てくれたお客さんにはそれを全力で伝えてるんだけれど、それをもっともっと大勢のひとに伝えられる自分になりたい。

 

あの頃手がとどく範囲にいたのに何もできなかった経験は、もうしない。 

これからは動いて動いて動いてく。

 

長くなっちゃった。

 

とにかく一年記念日です。うれぴ!

 

読んでくださってありがとう。

いっぱいいっぱいありがとう。

 

いっぱいいっぱいいっぱいありがとう!

 

 

進まないことには進まない理由がある。ぜったいある。

 

言語化ができないことは、思考が足りないこと。

 

思考が足りないことは怠惰ではなくて、単純にインプットが足りていないから思考が深まっていかない。

 

インプットっていうのは材料で、それは情報・経験のどちらか。

(まあ経験も情報のうちなんだけれども。)

 

つまり、言語化できない状態っていうのは、何かしら要因があってそうなっているってことだ。

 

これって別にこの話だけではなく、全部のことでいえる。

何かしらが止まる・停滞するのは、停滞するべくして停滞してる。

 

だいたいの場合は「怠け心」のせいじゃない、と思う。

 

 

インプットが終われば、やがてちゃんと良い形でアウトプットができるようになる。

 

 

だから大丈夫なのだ。

 

 

進むことは進むべくして進む。

 

進まないことは進まないべくして進まない。

 

 

ただそれだけのこと。

 

その「進まない」、まるでこんがらがって固まってしまった結び目のようだとよく思うけれども、その結び目をちゃんとほどく。

 

ひとつひとつ糸の通り方を見つめ、ほぐしていく。

 

 

そうしていけばまたやがて一本の糸に戻れる。

 

 

もし、本当に難しかったら結びを切って、少し短くなった糸でまた再スタートしたらいい。

 

 

わたしの脳みそのなかにあるいくつかの考え事は今どれも停滞期に入っています。

 

形にできるんだろうか。

どうしたら説明できるだろうか。

 

説明できないことはたいてい思考が足りていないこと。

 

インプットが足りていないだけ、です。

 

だから本を読み、人と話し、イベントに出かけます。

 

それでも言葉にできなかったら休みます。

とことん休んで休み終わると、休む前は見えなかったものが見えるように思います。

 

 

 

ああ、やろうとしていること全部やる前にやり方がわかればいいのに、と思うけど、そんなんわかってたらやるのおもしろくもなんともないって思うし。

 

むっずかすぃ~~。

 

とにもかくにも楽しいです。

悩むのって楽しいから悩むんですよね。わっはっは。