「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「大人」になり終えて

言いようのない感情が湧いてきて、しんどさこみ上げ、どうしようもなくなった。

今のわたしがやっていること全部の意味がないように感じられる瞬間はときどきやってきては、前に進もうという気力を全部うばっていく。

でもその度に拾い上げてくれる人がいる。今日もそうだった。

「次の扉の前にいるんだね」という内容のことを言葉でくれた。「あなたの発信がなかったらそのイベント自体を知らなかった」と声をかけてくれた。

言葉が染み込みきったあと、わたしはとっても元気になった。ひとりでは生きてなんかいけないと思った。

今だって、今までだって、これからだって、生きていけないと思った。

そんなことを思い返しながらさっき書いた-「だいすき」の前にひれ伏す-を読んでいた。

その記事のしたにおすすめでこれがでた、いつもはそんなに読まないのに、なんでか気になって開いて読んだ。

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 247日前の自分が書いた文章は、無駄な改行が多くて、今の自分とずいぶん違うことで悩んでいて、それはそれは愛おしかった。

未来の自分に向かって叫びながら、過去の自分を抱きしめるわたしを眺めて、力が抜けた。

もう、いいのだ。頑張らなくて。もういいのだ、やれないことはやらなくて。もういいのだ、やれないことをやれることにするためにもがかなくて。

「そのまま生きていってください、やりたくないことはなるべくやらずに、そのまま自由に生きていってください」、今日初めて出会えた素敵な男のひとにそう言われた。

声が深く響くひとだった。愛のある抱きしめ方をするひとだった。一瞬のハグですべてのありがとうの想いを伝えた。

やっと出会えた、そう感じる人達とのはじめての再会。

自分のことを名前で呼ぶのは今日で最後だ、そう思いながら10歳離れた友だちと沈んでいく陽の光が照らしていた雲の切れ目を眺めた。

わたし、和多志。まっすぐそのまま進んでいこうと思う。自ら分かれ、ここにいる。次の段階に入った、「がんばろう」に逃げず、やりたいことをやりぬいて。

 

だから、今日も必死で、明日も必死で、それでいい いつか必ず死ぬのだから それでいい 生きのこさないように、生きればいい 大人になるっていうのはいいもんだ

大人になったってさみしいし、つらいこともあるけど 自分の責任で生きていくっていうのは、いいもんだなぁ、と思う

「大人になる」と決める。 - 0→1000

 

「だいすき」の前にひれ伏す

2017年の12月に一人バスに飛び乗って遠い場所へ舞台を観に行った。その舞台が特別観たかったというよりも、その舞台に出る人が東京へ行くというのを偶然SNSで目にして、なぜか居ても立ってもいられず観に行くことを決めた。

あのときの衝動は今ならわかる、「応援してる」を伝えたかったのだ。バスを降りてから道に迷い、もう仕方ないとタクシーを探して大通りを走り、初めて通る道に心躍らしながらホールへ向かったのを今でもよく覚えてる。あの夜の温度、風、一生懸命に準備してきた人たちの醸し出す何かが空間から漏れていたこと。

その匂いにドキドキしながら、ひとりホールの前の方に座り、幕が上がるのを待った。映像と、生身の人間が演じるのとが掛け合わされた作品で、それはとてもリアルだった。もちろん内容はフィクションで、それぞれの特徴がクローズアップされ表現になっていたけれども、それでもなんだかとてもリアルだった。

本当は、帰る前にちゃんと言葉で「応援してる」と伝えたかったけれど、舞台にでたあとのひとというのはキラキラした何かを纏っていて、そのキラキラを眺めていたらなんだか想いがこみ上げてしまって。目を一度合わせただけで、気づいたときにはホールの外にいた。

なんでだろう、その舞台のことを最近とても思い出す。人生と人生が交差するのは一瞬で、その一瞬の出会いと共有した時間は忘れらないものになる。大勢のひととすれ違い、たくさんの気づきを与えられ、良い経験もしんどい経験も抱えてまた違う道を歩く。

わたしの普段の暮らしもある意味であの舞台にとても似た何かなのだということを感じているのだと思う、その場ではわからない伏線となる出来事や、言葉、他者の存在、演出のされ方。さまざまな要素がそれを感じさせる。

そう、日々の暮らしはわたしの意図を超えている。こんな暮らしにしたいこんな仕事がしたい、細かい事柄は意図した通りにデザインできる、でもそれ以上に飛び込んでくる出会いがわたしの人生の範囲をひろげていく。

今日大好きなひとたちの集う場所で「だいじなのは全面幸福」というだじゃれを習った。ぜんめんこうふく。よい言葉。ほんとにそうだ、と思って笑った。無数の出会いの前に、流れるように存在する無数の世界線の前に。

大切なのは正しく言葉をつかうこと、今ある言葉に自分の感じたことを合わせないこと。行きたい未来の方向だけに注意しながら、ただしい言葉選びで遊びながら、与えられるものに全面降伏。

それは力を抜くことにも似てる、全部の力みがぬけたら、もっと遠くまでいける。

瞬間そのものへの全面降伏が全面幸福をつくる。ぜんめんこうふく、しばらく生活のなかで味わっていたい言葉、ぜんめんこうふく。口の中で転がしていると喜びがもれだす気さえして。全面降伏、全面幸福。

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今すぐ、ハグしよ。

思考があちらこちらに飛ぶ。ひとと話をしていても、車に乗っていても、誰かとハグしていても、思考があっちこっちに飛ぶ。あちらこちらそちらどちらに飛んだ思考をぴゅっと掴んで紐でくくってまた元通りのふりをする。

ぴゅっと掴んだ思考はまた気づくとするりと紐を抜けてどこかへ漂おうとしている。おっといけないと、もう一度きつくきつく縛っておく。きつくきつく縛っておいた思考はきりきりきりきりと締め付けられ、今度見ると分裂している。

分裂してパッと二つにわかれた思考は、別々の方向に走り始める。走って走って走って、一周した思考のおでことおでこがぶつかる。軽く火花を散らしながら、その衝撃に耐えかねてさらに細かく分裂していく、細かく細かく細かく分かれた思考は粉々になる。

粉々になった思考は、まるで星屑の砂浜のようになって足元に広がっていく。無数に広がる思考ともともと溢れ出しかけていた感情が入り混じり、大きな大きな大きな空間がつくられる。つくられた空間のなかぼんやりと立ちすくむ。

未来も過去も今この瞬間でさえも、この空間のなかにすべてがある。あの過去もあの未来もまだつながっていない、これからつながるのかもしれない、まだわからない。あのときのあのひとことがどのように伏線へと変容するかなんて、立ちすくんでいる間はわからない。

これから先のことなんてわからない、今までのことだって実はわかっていない。だけれどもわかるのは、確実にわかっているのは、今見えているのは、枠がこわれたことだ。今まであると思っていた枠がなくなり、お互いの間にあったコンクリートでできた塀が崩れちゃったみたいだ。

もともと意味を持たなかったそれが、さらに意味を持たなくなり、とうとう形も失って。ひととひとの夢の間を体力測定のときのほら、あれ、あれみたいに、行き来する。なんだっけ、幅跳び?

とにもかくにも、枠を飛び越える瞬間の愛おしさを、体温の上がるこの感じを、わたしはきっとおばあちゃんになるまで覚えてる。いっぱいいっぱいぶつかって、枠があることを確かめて確かめて確かめきった2017年のわたしとまわりのひとたちにありがとうでいっぱい。

あなたのやりたいことと、わたしのやりたいことは同じこと。見ている未来がこんなに重なることはもはや偶然じゃない。愛とか光とか美しい言葉で飾り立てることは簡単だけれど、もはやそれも必要ないくらいにまっさらに素朴にかがやいてる。

お互いに握りしめているものを空に放って、今すぐハグしよ。嘘を減らして「やりたいことをやろう」だなんて意図する前にやっちゃうやりたくてたまらないことだらけの毎日をたのしもう。

明日もたのしい、明後日もたのしい、突発的に起こる悲しいことも苦しいこともさみしいきもちも、全部どこかへの種まきだから、心の底から安心して委ねてほしい。一歩一歩すすもう。

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時々どうしようもなく誰かを好きになる

テントのなかで結婚の話で盛り上がった。きっかけは、付き合ってるひとや夫婦になったひとが別の誰かを好きになって性行為をすることは嫌だ!という友人の一言から。

そこから堀りさげていって今の自分から出てきたのは「今ある制度を理由に相手を裁かない」ということだった。結婚してるから、付き合ってるから、そんな理由で相手の感情や行動をコントロールすることはできない。相手の選択はいつだって自分のコントロール外、範疇外にある。

わたしが今誰とでもそういうことをしないのは、一緒にいるパートナーのひとのためではない。二人の間にそんなルールもない。ただ、そういう気分にならないからでしかない。でも、その理由のひとつには彼の存在があるだろうと思う。誰よりも長く一緒にいてくれたひとの腕の中がやっぱりいちばん居心地いい。彼のまつげや、鼻や、いつもいい匂いのする首すじや、さらさらした鎖骨、狼みたいな足まで全部大好きだ。

今の二人の関係って、捨てるのがもったいなくて2回、3回といれた紅茶のティーパックみたいだと思う。今の味は最初の頃に比べてずっと薄いんだけれども、でもやっぱりまだその味のなかにいたい。もうあんまり味しないんだけど、もう一回もう一回とお湯を注いでしまう。

とはいえ、高校生の頃から変わらず、時々どうしようもなく誰かを好きになる。男のひとであることもあれば、女のひとであることもある。身体が先にそう思うのだから仕方がない。そうなってしまうともうだめで、それは一緒にいてくれている彼もよく知っているわたしの一面で、その不思議さは冷静に面白い。

そんな自分だからこそ、一人のひとと添い遂げることは奇跡に近いと感じる。奇跡であり軌跡って中学生のときに流行ったJ-popの歌詞みたいな言葉だけれども、本当にそういうものを単一のパートナーシップには感じる。「飽きるほど一緒にいられるって喜びですよね。」と、昨日出会った気持ちのよい男の子がそう言った。本当にそうかもしれない。それは、外から仕入れた知識によるような究極の誰かを求めるよりも、とても自然なことかもしれない。

これらの話のなかで、キャンプに連れ出してくれたひとが「相手を自分のなかにいれることが喜び?」という質問をくれた。そう、それはとても自分の気持ちに近い言葉だった。もっともっと自分を深く知りたい、もっともっと自分を表現したい、それがやがてひとつの大きな何かになって、より面白くたのしく喜びとともに生きられることにつながっていると感じているから。

だから5年っていう長い時間(人生の4分の1)同じひととたくさん寝食をともにして(面倒見てもらって)、ときどきとんでもなく対極に感じる相手に惹かれるのだろうと思う、もっと自分を知りたくて、反対側の自分ともハグがしたくて。

握りしめた手をゆるゆるとほどく。少し先を歩く背中を眺めながら、伸ばしかけた腕を引っ込める。もう、やめようってやっとそう思えた夜を超えて、海の外を眺める。光が反射して、反射して、反射して。ぐるっと囲む森の山はまるで大きな生き物が寝そべるように見える。

今回のこのコントロール外の気持ちはどう着地するだろか。今までの想いのように、2年、3年の時間をかけて消化されて相手への感謝に終わるんだろか。5年のときを超えて暮らしの舞台が変わる二人はいつまで一緒にいられるんだろか。

わからないことはわからないまま、また数時間後、日常に戻っていく。いつもの景色と違う自然がわたしのいつもと違う心を軽くする。風に吹かれて波に揺られて、声を出して出して出し終えたら、この淀みもスッキリするだろか。やっぱりわからないことはわからないまま、また、まだ。

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社会はやさしい、やさしい社会をつくる

名護にいる。ワカゲノイタリ村にいる。最高ひっぴーはっぴーな日がはじまっている。昨日の夜はまだ、あんまりにもうまくいかないお仕事と、自分の力量のなさとにイライラして泣きながらオフィスにいた。22時に宜野湾を出て、背の高いひとと頭のよいひとの乗る車に飛び乗り、びゅーんと名護へワープ。

窓から見える星が綺麗で、大きく覆う雲は悪魔の顔に見えて心の中でアテレコして楽しんだ。「はっはっは人間め、ばかめ、せいぜい生きるがいい、はっはっは」みたいな、悪口を言っていることにした。合間合間から見える星は綺麗で、悪魔のアテレコと合わせたアンバランスさが面白くて、ひとりけたけた笑った。

ワカゲノイタリ村について、車を降りた瞬間、星がわーっと歓迎してくれた。空から降ってくるそれは、一瞬で身体に溜まっていた何かを大地へと流してくれた。ああこれだけで来てよかったと、連れ出してくれたひとたちに感謝した。

ワカゲノイタリ村には、ぐしけんという村長の他に、ひかるという旅人とがきていた。ひかるは初対面のわたしたちにせっせと山に生えてたヘゴを天ぷらにしてくれた。いいやつだなぁと思った。

テントをせっせと張る、ひとつひとつのピンをハンマーで打ち止めていく。あっという間に家ができた。ここではしゃいではいけない。マットを敷いた。はしゃいでよし、ゴロゴロした。キャーキャー言いながらゴロゴロした。

今のわたしをつくっているものはいろいろとあるのだけれども、そのひとつの奥多摩の自然のなかで育まれたものを思い出した。奥多摩の山に抱かれて、川にあやされて、幼かったわたしはずいぶんと癒やされた。あのときの木々から漏れる光は、照らされた苔は、わたしのなかで最大のファンタジーだった。ノスタルジーでファンタジーでひっぴーではっぴーな思い出である。

テントのなかにライトを灯し、ワインと塩辛とヘゴの天ぷらを並べて、みんなでたくさん話をした。発信のこと、生きていくこと、性欲のこと、パートナシップのこと。お、、、のこと。とても言えない・・・。

朝起きて、逆立ちをして、コーヒーをみんなで飲んで、サンドイッチをつくって、食べて、さんさんとふりそそぐ陽の光のもと、名護の市長選挙の話をした。両方の候補のこと、財源のこと、仕組みづくりのこと、ぐしけんがやろうとしているワークショップのこと。

ぴったりと重なったわたしの考え事と、ぐしけんのしかけていること。もっともっと面白く暮らせる、もっともっと喜びのもと生きられる。政治って、そういうためにある。社会って逃れられない義務と責任によるつながりではなく、大きな大きなセーフティネットになる。

自分が変われば、世界が変わる。わたしとあなたのやりたいことはたいてい一緒。自分のものにせず、分けてしまわず、お互いのビジョンを共有する。共有したところがまず一歩、実行して一歩、歩いていった先に見える景色のなかにいる自分が、幸せそうに笑う。あなたと笑う。

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