「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「レディになりましたね」と言われたくて

久しぶりに会う前はいつも少しドキドキする

このドキドキは、ドキドキというよりもソワソワといった感じで、前はどのように話していたかとか、そういうつまらないことを気にして

、、、いるようないないような

そのときどきに好きになる新しいひとに会いにいくときは、見栄を張りたくて、眉毛をかいてみたり、口紅を塗ってみたりする

東京に行ったりわ愛知に帰るときも、おばあちゃんに「レディになりましたね」と言われるのが好きで、綺麗な格好をしていく

でも、大学一年生の夏から、ずーっと一緒にいるこれから会いに行く人は、不思議かな、背伸びをしたい気持ちにならない

対して褒めてくれないというのもある

まだ、外見について褒めてくれる先輩とお出かけするときのほうが気を遣うかもしれない、褒められたいから

たずねれば、かわいいねとか、綺麗だねとか、ふつうだねとか、まあまあだねとか答えてくれる

でも今バスに揺られながら、少し寝癖ののこっているじぶんの姿をバスの窓越しに眺めていると、ふとわかったような気がした

彼の外見に対するスタンスは、わたしのわたしの外見に対するスタンスと同じなのだ

改めてたずねられれば、よくよく眺め直して、綺麗だねとか、ここがおしいねとか、言葉を返す

ときどき、お!と思うときや、あらま、、、と思うときもある

でも、とりたてて、普段からエネルギーをかけたい分野ではない

着心地がよく気に入ったものを着ているほうが大切だ

だけれども最近、もう少し、美しくなりたいなぁと、よくよく思う

でも、それは外見だけということではなく、覇気みたいなもの、生きているハツラツさみたいなもの、そういうものを纏いたいなぁ、という思いである

なので、時間はかかる気配はあるけれど、ゆっくりゆっくり、じぶんの内側と外側を、もっともっと磨いていけるといい

そのままである、の、そのままの底上げをしたい

とりあえずの目標は、お盆に帰るときにおばあちゃんに「一段とレディになりましたね」と言わせることだ

レディになりたいかは別として、おばあちゃんの言う「レディ」には、さまざまな褒め言葉が詰まっているように感じるから

レディのまま、あぐらをかいて
レディのまま、挨拶がわりにハグをして

「レディになりましたね」が嬉しいのはたぶん

道に迷って途方にくれてたあの頃のじぶんからずいぶんと変われたね、と褒められているような気がするからだね

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パートナーシップについて思うこと

結論から述べてしまうと、誰でもよくて、かつ、あなたでないとだめなのだ

最近、特に心がけてどんな相手とも心を開き会話をすることを試みていた、今は飽きたのでたまにしかやっていない

向き合うというのは、どんなレベルであれ向き合うであり、相手のことをよく知っているか否かとも関係ない

その瞬間に対峙する相手のことを、心の底からその存在を肯定し、静かにじぶんの感情を捉え、湧き上がるそれについて相手のものとじぶんのもの、そしてその場のものとに分類していく

この作業をする間、気をつけるのは高揚しないこと、つまり、深く深く、下の方、おなかのあたりまで心を下ろして、それを相手に向け、軽く開いてコミュニケーションをとるということ

この状態にあるとき、会話はさほど重要ではなく、むしろ口を開く前にだいたい相手が何を言うかわかるぐらい相手のエネルギー、状態を把握、理解ではなく、把握することが大切だ

そうしてはじめて、逆説的ではあるが、今のじぶんの状態を知ることになる、そして意味のない傷つけ合いは回避できるし、相手も連動して自然とじぶんを知っていく

また、誰かに攻撃された際にも、それがじぶん由来のものか相手由来のものか、はたまた、その場がそうさせるのか、冷静に見極められる

これを癖づけすると、じぶんのペースを乱されにくくなる

そう、じぶんを知る、その営みこそ生きる喜びであり、醍醐味のようなもの

どのように生きたいのか

どのように在りたいのか

人の数だけそれは異なり、その差異こそが、わたしの、あなたの生きている意味なのだろうと、今は考えている

これを、コミュニケーション、パートナーシップというテーマに寄せていってみる

たとえば、誰かに好かれたいということを理由に、大勢の誰か、空想のマジョリティーが、架空の世間が好みそうな誰かの皮を被ることは、本当の喜びから掛け離れてしまうきっかけになる

なぜなら、誰でもよくなってしまうからだ

特別な座標を与えられているにも関わらず、他の誰かになることを願い、じぶんを偽って演じること、その先にある空っぽさ、これは心の病気のもとになる

じぶんの座標を思いっきり生きる

そのようにして過ごしていると、同じように心をひらいたコミュニケーションをとるひとと、まるで運命のように出会い、縁を深められることがある

その偶然はコントロール外のところで起きる幸運であり、その相手と文字通り心を通わすうちに、ひとはよりじぶんを深く知り、また肯定することを覚える

そう、ここにパートナーシップが生じていく

しかし、パートナーシップという言葉は曲者である

これは元来、異性であったり、対一対一であったり、特別なもの、かつ性的なコミュニケーション付き、みたいな、いわゆる彼氏彼女、妻夫というようにされてきた感じがある

だけど、そんなの嘘っぱちで、そうしていたほうが便利だからそうなっていただけのこと

性的なコミュニケーションが付随するのは、その行為によってよりお互いがお互いを理解しやすくなる、裸になることや、恥ずかしいとされる経験を共有することで心の箍を外しやすくなる、そういう意味なのだろうと思ってる

パートナーシップは、誰と結ぼうと自由で、これもまたじぶんや相手のリズムが変われば簡単に、これは切ないのだけれども、あるとき突然ほどけるものなのだ

だから、だから、だから

恋い焦がれたとしても、だれか特定の人の隣を歩きたいと渇望しても、じぶんを押し殺すように努力を重ね架空の理想を目指すのではなく、本来のじぶんにかえっていく、ひとつひとつ特別な感性を思い出していくことが大事だ

その過程こそに意味があり、もしその思い叶わなかったとしても、その過程を経て、より純粋化されたあなた自身のことを、きっとあなたは以前のあなた以上に大切に思えるようになる

だれを好きになるかはどうでもよく、それが単一であるかもどうでもよく、性的なものが付随されるのかもどうでもよい

大切なのはその関係を経て、何を感じられるのか、そこに尽きるのではないかと今は思う

だから、その意味で、パートナーというのは誰であってもよく、また、その特定の誰かではなければ意味がないのだ

ひとはそれぞれ生きる意味や喜びが異なって当たり前なのだから、わたしがこう思うというだけのこと

でも、世間にある言葉や概念に、じぶんの思いや関係性を当てはめようとしてうまく入らないそれに苛立ち、なぜ入らないの!とシンデレラの姉たちばりに血を流しながら削るのではなく

もしかしたら、先にあったその言葉たちが、概念が、今のじぶんとは異なるものなのかもしれないと、丁寧にじぶんの声に耳を傾けることは、誰にとっても意味のあることかもしれない

大好きで大切なあなたのことを、わたしなりに大切にするために

また、この世にひとりしかいなく、それゆえ究極の意味では常にひとりぼっちで立っているわたしという存在をまるっと抱きしめるために

もっと丁寧にじぶんの思いをさらっていきたい

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どんどん変わる

早起きして家を飛び出した
早く会いたくて、とっても楽しみなきもちになった
いつもの店員さんとすれ違って、笑いを交換した

車に響く笑い声
嬉しそうにしているひとを見ていると嬉しい
なんでだろう

微笑みも笑いも悲しみも喜びも簡単に伝播する

たくさんたくさんの出来事のなか
息継ぎしながら、生きている

facebookに仕事をやめる不安について書いた
かわいく撮ってもらった写真でいいねがたくさんつく
のは、前にも経験したことがあった

でも、文章だけで、あんなにいっぱいのひとの反応
それははじめてのことだった

コメントだけじゃなくて、メッセージもいっぱい
具体的なお仕事の話もあったし、経験談もたくさん

嬉しかった
純粋な応援の言葉や、似たような不安への同感の言葉
人間として生きている喜びは、つながりだと思った

すでに、あれにまつわる出来事たちは過去の彼方
ぐんぐん勝手に進んでいる、進んでいく
(昔々のwindowsのスクリーンセーバーの宇宙を思い出す)

もうすでに身体のどこを探しても不安が見つからない
別のことへの不安はあるけど
吐き出したようなあの不安はもうない

そんな風に日常がいれかわっていく
身体の細胞たちとともに、わたしはどんどん変わっていく

自然のようにある
自然とともにある

そこに力が湧く

繋がっているひとたちが今日も健やかに一日を、と思う
のろいではなく、祝いになるよう注意深く、思う

足元の下に、表面を覆っているアスファルトのもっともっと下に
あついあつい真っ赤なマグマ
常に揺れている、一定の揺れを保っているマグマ
そのマグマに包まれるようにして
ただ浮かぶ空っぽの球体

そこに意識を馳せ、まっすぐに立つ

きっともっとたのしくなる
勝手に変わっていく毎日に、ケセラセラと叫びかえす

あのひとの曇りもいつか勝手に晴れるのだ
あのひとの雨も、いつか勝手に止んでいく

ずっと晴れていたら、晴れていることの喜びは減ってしまう
ずっと曇りが続いたら、ありがたさは薄れてしまう
ずっと雨が降り続けたら、みんな途方に暮れてしまう

わたしは生まれてきてよかった
死ぬことを想像したら、すぐにわかった
もっともっとこの身体で、身体いっぱいで「好き」を伝えたい

そのとき隣で時間を過ごしてくれていたひとは、
もっともっと地球を「体感」したい、そう言っていた

その差異が自信を持って教えてくれる
その違い分があなたらしさで、わたしらしさ
そこに生きていく意味がある

この座標を立派に胸をはって生きていく

その立派は、世間の立派とどうやらちょびっと違うみたい
でも、それでいいんだ、これでいいんだ

しがみつかないで、しばりつけないで
そこから変わることをゆるしつづけて
どんどん変われば、どんどん進む

繋がっているひとみんなに思う
その先にいるたくさんのひとを思う

単純な好みなんか、この思いは乗り越えてしまう
関係ないのだ、何をした、何をされた、関係ないのだ

どんどん変わろう
かたまってしまった手のひらを広げて
太陽にすかして、風を感じて

もっともっと、もっともっと
ひとに出会って、恋をして、うまくいかないと笑いながら

もっともっと、もっともっと
見たこともない景色に驚いて、その都度心を動かして

もっともっと、生きていきたい

もっともっと、身体いっぱいで

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今日の朝ごはん!

カフェ出勤も今日と、次の月曜日でおしまい

大きなひとつのシーズンが終わろうとしているよ

講演会、きてね!

fuzimurayasuyuki-okinawakouenkai.peatix.com

人間の夢

雨があたる音を感じながら、畳んだままの布団の上に身を投げ出して、ぼーっとする
なんとなく悲しい気持ち、理由も探すことなく、そのなかにい続ける
飽きたのでご飯を食べて、ぱらぱら漫画を読み、昨日の旅のおみやげのコーヒ味のマカロンを口に運ぶ

なんとなく悲しい気持ち、まだ続いている

行きたくないのになぁ
ため息をついてTシャツに袖を通し、姿見の前で寝癖を直す
素材はまあまあいいんだから、きちんとしたらええのにと、笑いながら寝癖を直してもらったのを思い出した
まあまあってなんやねん、と数歩前の記憶に向かってツッコミいれて、またため息

なんとなく久しぶりに声が聞きたくなって電話をかけたら寝ぼけ声、顔や体温まで想像できるもんだから少し笑う
3分も経たぬうちに話すことがなくなり通話終了、明日から始まる彼の新生活が幸福にまみれますようにと、軽く祈る

うーん、まだ悲しい
いっそおいおいと理由もなく泣いてみようか

ここまで書いて思い出す

さっきまで夢のなか、草原を駆けまわり、風をあび、まるまって眠り、起きては木の実を食べて、また眠り、走りたくなったら走り、一匹の完全な獣としてその一生を謳歌していたのだ

そりゃあ、悲しくてあたりまえだ

でもたぶんきっと人間も悪くないよとじぶんと話す
あほみたいなほんとの話

もっともっとシンプルに生きられるようになろう、眠るのがもったいないと思えるくらい人間に没頭できるといい

いやそんなこと思ってないな

ゆっくり変わっている、勝手に変わっていく
もっと力を抜いて、流れに身を任そう

que sera sera、だ!

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言葉の響きを味わいながら読む本

虚空の旅人を読み終えた

上橋菜穂子さんのファンタジーは、その世界に溺れるような感覚を読んでいる間持ち続ける

守り人シリーズに登場する言葉でいえば、まんま「ナユグ」のような、そんな世界だとわたしは思う

 

虚空の旅人 (偕成社ワンダーランド)

虚空の旅人 (偕成社ワンダーランド)

 

ずっとその世界のなかにいたくなる

生き生きとした緑、騒々しい市場、ひとびとの間を流れる風、結ばれる縁の糸、そこから丁寧に丁寧に織られていく物語

小学生の頃から何度も何度も何度も、読まなかった年はないくらいに読み返している

小説を小説として読むのではなく、体感することができるのは、きっとそこに描かれている詳細な文化の描写なのだろうと、上橋菜穂子さんが人類文化系の社会学の研究をされていたと知って納得した

何より、言葉が、音が力を持っている

虚空の旅人には、物語のキーとなる役割として、「ナユーグル・ライタの目」が登場する

ついつい目で追い終わった後、ページをめくる前に口に出して、その音を味わってしまう

音の連なりが言葉になる

その一音一音に意味が含まれていることを、いや、一音一音の持つ意味こそが言葉を言葉たらしめているということを、わたしは守り人シリーズを読み返すたびに実感するのだ

幼い時から繰り返し読み返している本のほとんどはファンタジーだ
生まれ育った家の壁一面の本棚にあったのは岩波少年文庫だった、さまざまなファンタジーを片っ端から読んだ

妖精の出てくるもの、魔法が出てくるもの、動物がしゃべるもの

繰り返し繰り返し、電車で片道1時間かけて通学していたのもあって、繰り返し繰り返し、ランドセルを背負って歩いているときも読んでいた

しばしば母が本屋さんで、違うものを買ってくれることがあった
好きそうだと見つけてきてくれた本はどれも当たりで、何度も何度も、眠る時間さえ惜しんで読んだ

特に大人になってからもそばに置いているのは、上に書いている守り人シリーズの他に数冊ほど

竜の騎士

これは本当に繊細な竜の登場する物語、夜空を飛ぶその描写にいつページを開いても心踊る

 

竜の騎士

竜の騎士

 

魔法の声

この本は何冊か続き、映画化もされていたような気がする、音読するとそれが実態となって現れるという設定がたまらなく魅力的で、つられてなんども音読したものだった

 

魔法の声

魔法の声

 

チョコレートアンダーグラウンド

砂糖が法律で禁止されたあと、中学生の男の子二人組が隠れてチョコレートを製造し、バーを作り、最後には体制を壊し、砂糖復活!というすばらしいストーリー!
今になって読むと、そこにはさまざまなエッセンスが隠れていて、体制について知識はなくても直感的におかしいと思えるようになるセンスを磨いてくれる一冊でもある

 

チョコレート・アンダーグラウンド

チョコレート・アンダーグラウンド

 

他にも読み返すものはいくつかあるけれど、心に強くのこっているのはこれらだ

結局そういう背景がスピリチュアルな世界を面白がる今の自分にも繋がっている

ファンタジーもスピリチュアルも、それが全てではないから面白い

物語は「行動」と「停滞」の連続によって織られていく、それを彩るのがファンタジーな要素であり、これは現実世界でスピリチュアルなものに対してそのままいえるだろう

ああでも、こうやって大好きな物語に触れ、その物語について思いをはせるとき、わたしの身体はあたたかく、胸はドキドキとする

愛してる!と叫びたくなる、ちなみに今は飛行機のなかなので叫べば拍手が起きるか、キャビンアテンダントのおねえさん方にたしなめられるはずね

もうほんとに大好き!
すばらしいものを世に送り出してくださってありがとうと、生きているうちに作家の方に言えたら、それを翻訳して編集して印刷して販売してと、それに携わる人みなにいえたら!

そして照れくさいし、それはあくまで一部分の関係性ではあるのだけれど、惜しみなく本を与えてくれた母や父、本を読む面白さを静かに伝えてくれた祖父、家に本があるきっかけをつくってくれた姉、いろんなひとのおかげで、わたしの心のなかのファンタジーに関する部分は耕され、種を植えられている

それがどう芽吹き、成長していくかは依然不明だけれども、これから先もきっとそこから豊かさが生まれ続けていく

ありがとう!と思うわけです
おしまい!

小学四年のときに図書館の壁を制覇したのも今では良い思い出、面白い本もあればくだらない本もあった

図書館って最高だよな〜って、子どものときは思っていたけど、好きな飲み物と好きな体勢で読めるという点で、大人になってからの方が自由で面白く緩やかな読書を楽しんでいるのかもしれない

本なんて読んでも読まなくてもどっちでもいいし、多読がいいとも、速読がいいとも思わない、何冊読んでようとどうでもいい

その本によってどのような種が植えられ、または水となり、その人自身の何に影響を与えたかには興味がある

そして、その種も水も、本でなければいけない理由はどこにもない、音楽でも、動画でも、スポーツでもなんだっていいのだ

時代は変わる、コンテンツの形も変わっていく、ジェネレーションによる枠に縛られずにさまざまな形での種を、水を提供できる存在でありたいと、ジェネレーションギャップを埋める努力をせずに批判されたあとは、ひねくれながら思ったりする

これは蛇足!笑