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「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

あやこさんに教えてもらった「地球で生きることを楽しむコツ」の話

 

今日は武島綾子さんのとこ、まだオープン前なんだけどアメナルミチという場所が北中城にあって、そこに行きました。

「まんかいセミナー」というのをあやこさんはやっていてね(しばらくお休みするそうなんですけどね)

それを受けたかったので行ったわけです。

 

私、2月の真ん中くらいからだめだめで、めっちゃ眠って過ごしていたわけです。

朝起きても、起きなかった振りをしてもう一度眠る。

そしてまた起きて、ちょっとなんか食べて、またすぐ眠る。

一日のうちをわりと眠って過ごす、へんてこな生き方をしてました。


でね、今日はその日の5時くらいにまた眠ったのに、あやこさんのとこに行くのにちょうどいい感じで目が覚めて、バスを調べたらぴったりで。

「どうしたい?」って自分に聞いたら、行きたいけどちょびっと面倒だなーとか、やめといてもいいよーとか話してて、でも「ううん!行きたい!」と自分が申すので、よっしゃ行ったるか!と思って一念発起。

シャワーを浴びて着替えて、てくてく歩いてバスに乗り、またまたてくてく歩いてアメナルミチへ。

 

でねでね!!

もうすごくね、もうすごくよかった!

これ忘れたくなくて書いてるんだけどね。
(今3時すぎなんだけど、今日さ、21時半から眠って2時に地震で目が覚めてびっくりしてたらパートナーが返ってきてカフェラテをプレゼントしてくれて、今に至るんだけど!)(ただののろけ~~)


何がよかったんだろう。

あやこさんからプレゼントをたくさんもらったような時間だったよね。

さて、三つくらいポイントがあったかな。


1. 被害者で居続けることを選ぶこともできる。でもそうじゃない人生も選べる。(同じように加害者で居続ける人生もある。でもそれを抜け出すこともできる。)

2. 自分で自分の人生を生きるのはこわい、でもすごく楽しいし、魂(根本)からの「やりたい」は絶対にうまくいくんだと思う。

3. はるなはすごい!はるなのこれからを楽しみにしているひとはいっぱいいるんだろうねぇ。
(自分を咲かすことは、みんなの役に立てることだよっていう話)


照れ。

で、具体的なとこでいうと。

・何にワクワクしてるかな~を見つめる

・自分の持っているもの3つを重ね合わせる

・こうなったらいいなというビジョンを文章でも絵でも映像でもしっかりと味わう

 


これたぶんみんなに当てはまるんだろうね!

あやこさんはすごいよ~。


でねっ!


改めてはるなの資質を見つめなおすことにしてみました。

よっしゃ~~~。

自分にやってみて「いいなっ!」って思ったらみんなにもやろ~っと。


あやこさんありがとう。

セミナーのお金を渡そうと思ったら、「ごはんいこ!」って言われて嬉しかった~~。

こんな短い時間でお金循環させちゃうのもかっこいいよね。


数歩先を歩いて、新しい地球の遊び方というか、鮮やかな生き方を魅せてくれるあやこさんに出会えてはるなは幸せもんだすだす。


ひとつ、気持ちの土台ができた気がする!

また見失っちゃうかもしれないけど、それはそれ、そのときはそのとき。

 

これもあやこさんが教えてくれたんだけど、生まれてくるときみんな「たま」(みたま)そのもの、純粋100パーセントの自分で生まれてきて、でも人間界には「〇〇しい」を体験しにきてる。だから「たましい」をみんな持ってるんだと。

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〇〇しいのなかには、たのしいもうれしいもかなしいもさみしいも詰まってる。でもそれって「たま」とは別のとこだから、ほこりみたいなものなんだって!笑

この話おもしろかったな~。だから感情が揺れても「ああまた〇〇しいだな!ほほほ」と思って感じ切る。それの繰り返しなんだって。そしてどんな感情になったとしても自分自身の持っている「たま」の輝きは失われないんだよね。

(左は潜在意識の奥のほうに「やりたい」の種があるんだよ!って話、ここから芽が出たものは強いよ~~って教えてもらった!)


今はすごく嬉しいんだ。

また生きてるのが楽しいって思える自分に出会えて、落ち込んでる自分も責めてるけど責めなかった自分になっていたのに気づいて。

やっと未来の自分からの「ありがとう」と「大丈夫」が少し聞こえた気がした春の始まりでした。

るんるん!

 

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自分の「花」を咲かそう。

 

まるで武士!なのかインドの占い師?いや、女神??

あやこさんが登場する記事はこれとこれ!

 

www.pidakaparuna.space

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「大丈夫じゃない」って言わなきゃいけなかったんだよね。

 

誕生日がもうすぐなんですよね。

でね、誕生日前っていつも考え込んでしまいます。
いやあほだな~って思うんだけど、まあ今日の話、あほだなぁ、な話なんですけどね。


なんで生まれてきたんだろう?
どうしてここにいるんだろう?


それをこんこんと考え続けてしまう。

そんな季節なんです。

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今年ももれずに、2月の10日前後から、この誕生日前まで、ずっとそういうような考え事がいつもありました。

でも、「もうそんなこと考える時期は終わったぜ!」「楽しく生きるんだぜ!」みたいなこと考えてたから、向き合わないで目をそらしてたら、なんか日常生活(仕事・ラート・読書・・・えとせとら)さまざまな部分ができなくなり、とうとう3週間も寝込みました。


当然、手持ちのものは全部ストップしちゃったので、ああもう沖縄ではお仕事できないかもなぁってがっくりきてます。

仕方ないか…と思いながら、カラーセラピーをご依頼くださる方と、あとは数人の心許せるひとたちと会う日々が続きました。


それでね、今、わかったことがあって。


一番根本にあった自分からの声を無視したから、自分が拗ねてしまったんだなぁと。


カラーセラピーでお会いしたお客さんにはたびたびお伝えしているのが、インナーチャイルドという考え方。

一般的にはこう定義されています。

「インナーチャイルド」とは、「内なる子供」と訳されますが、具体的には子供時代の頃の記憶や心情、感傷の事を指します。

インナーチャイルドの基礎知識

 

私の解釈は、「自分のなかにいる小さな自分」そのままだけど、そのままですね。

あ、もしインナーチャイルドに興味があったらこのあたりの記事がいいかも。

 

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なんていうかね。

そのままの自分です。


何も制約を受けていない、そのままの自分。

3歳くらいかなぁと、思います。


生まれて、自分と他者との境界線が「体」にあると知って、そしてそこから自分と社会という構図をつくりだし、生きてきた自分。

それを始めたばかりの自分。

期待した経験も裏切られた経験もない、そのままの自分。


人づてに、母が私について「あの子は大丈夫かしら?」と言ったことを知りました。


その一言で、なんだかもう片付いたはずの箱が空いてしまって、いや本当はその2月のシーズンから今まででゆっくりその箱を眺めていたから、ただのきっかけに過ぎなかったわけですが。

あけちゃったんですよねぇ。

 

ああこんなに人を嫌って人を憎んで生きてきたんだったっけか、と。

自分にびっくりしました。


私がひょうきんなのは、みんなが笑うと嬉しいから。

天然と言われることもあるけれど、まったく天然ではないんですよねぇ。

注意力散漫ではあるけどね。


そうじゃなきゃやってらんなかった時期があるから。


でもそれをいちいち人に認めてほしいなんてさらさら思ってなくて、大好きなひとたちのなかで気軽に笑わせて笑われてみんなと過ごす自分が大好きで、今の自分を気に入っていて。


ただそのルーツがそこにあるのを忘れていたというか、なんていうのかなぁ。


「あの子は大丈夫かしら」

どんな気持ちで言った一言か知らないし、そんな一言でこんなに感情が揺れるだなんてあほみたいだなと思うんだけど。

びっくりしたなぁ。


もう、解決したと思っていて。

もう、終わったことだと思っていて。


びっくりしたなぁ。


最近嫌いだと思ったひとの言動も、全部その根本にある母との関係だったと気づいたときはびっくりしました。


被害者意識満載な書き方してるけど、私は同時に同じ量だけの加害者でもあって。


でもそんなん全部「昔のことだからもういいよ」って言ってくれたひとたちと生きてて、そのひとたちに出会えただけで沖縄に来れてよかったなぁって。


こんな風な形で自分の気持ちを吐露するなんて、あんまりいいことじゃないなと思うんだけど。


つらかったんだよなぁずっと。
我慢してたんだよなぁ。

小学生ぐらいの時からいろんな方法で、「もう無理だー」を伝えてたけど、うまくいかんかったもんなぁ。

でも、自分のせいだ、もすごく強くて、どうにもならんくて。

家を出て、さらに居場所をなくし、なんでこんなことになっちゃったんだろうと途方に暮れながら愛知で暮らさせてもらって。


やや呆然としたまま、大学生になって。
すごいなと思う金額の投資をしてもらって今の自分がいて、すごいなと思うほどたくさんのお願いごとをおじいちゃんたちは叶えてくれて。

20歳で成人を迎えたときに、「もうやめよう」と思って、母に七年ぶりに会いに行って。

七年って私の人生の3分の1だったんですよね。


で、そのときも「大丈夫」と伝えて、謝りあって、お礼を言いあって、いい感じ~にその場は終わって。

小さいころの自分の写真を見せてもらったり、みんなの様子を知ったり。


でも、そのね、数日前に知った「あの子は大丈夫かしら」に、涙が出てね、今更ね。


大丈夫じゃなかったんだーと

全然大丈夫なんかじゃなかったんだーと

ずっと大丈夫なんかじゃあなかったんだーって


君みたいにわかりやすいと助かるよねって笑いながら言ってくれたひとがいたんだけど、いや本当にわかりやすいのに、でもお互い余裕がなくて、お互いの「大丈夫じゃないんだ」に気づかないまま年を重ねてしまったんだよね。

 

大丈夫じゃなかったんだよね。
全然、大丈夫じゃなかった。


あのときも、あのときも、あのときだって、大丈夫と大人に言いながら、大丈夫じゃなかったんだよなぁ。

呆然として、もうどうしたらいいかわからなかったんだよなぁ。


自分の枠を超えちゃった出来事ばかりで、でも自分でどうにかしないとと思って、でもできなくてパンクしてさらに迷惑かけちゃって。


こないだ叔父に「大丈夫じゃないならちゃんとっそう言わないと」って、笑いながら怒られて。

叔父は今の自分にとっていい感じのメンターであり、わりとメシア!って感じのひとなんですけど(厳しいんだけどね)

なんかホッとしちゃって、大好きなBBコーヒーの外のベンチでわりと泣きました。


「大丈夫じゃない」って、これからは言える気がします。

っていうか言わないとね。
言わないとだめだったね。


あのとき言えなかった「大丈夫じゃない」に気づかせてくれてありがとう。


あのときも、あのときも。

そして今も。

私は大丈夫なんかじゃなくて、でもだからこそ「大丈夫」ということを知れる。


いつも、いつも誰かが助けてくれたなぁ。

あのときも、あのときも。

そして今だって。


「大丈夫じゃない」が言えなかった自分を、みんな助けてきてくれたなぁ。

本当はみんな知ってたのかもしれないなぁ。


ゆるせていないひとが、憎んでしまうひとがいっぱいいる自分のこと受け入れよう。

大丈夫じゃなかった弱いてんてこまいだった自分を。

たくさんたくさんひねくれてひとを傷つけちゃった自分のことを。


大丈夫だ。

ちょっとひとつ、終わった気がする。


来年の誕生日前は何を考えてるかな。
もすこし、生きることを楽しめてるといいね。


生まれてきてくれてありがとう。

生んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

出会ってくれてありがとう。


ありがとうだらけで気持ち悪い?

でもありがとう。


は~~~~~。

なんか軽くなった!

読んでくださってありがとう。
ごめんね、こんなん読ませて、とちょっと思うんだけど、でも、ほんと。

そんな感じです。


大丈夫じゃないってちゃんと言いたいひとに言わないと、くさるよ!笑

という話でした、わはは。


もう、大丈夫だーーーーーーーーーー!!!

何歳になっても、いい友達ってできるもんだ。


「わからないから面白いんだよね」

そういって、優しく微笑んでくれたのが、沖縄で出会えたいい友達のまきちゃん

 

その言葉をもらう前、わたしはこれから先のわからない未来についての恐れみたいなものをたらたら口からはいていたけど、その一言とその微笑みで、そのたらたらはぷつんと終わった


わからないから面白い

 

何回も心の中で反芻して、身体にしみこませて、忘れたくないなと思って忘れませんようにと思った

そして、本当にそうでありますようにと、まきちゃんのこれからもわたしのこれからも「わからないから面白い」ものですように!と、神さまにお祈りしといた

 

思い返すと小さいときから、器用なんだか不器用なんだか一周回って不器用な性格で、なのにクラスに1人か、2人くらいすごく「いい友達」ができるようになってた

神様が、わたしがあんまりにも人付き合いが下手だから「かわいそうに」と思ってそうしてくれたんじゃーないかと思う小・中・高時代だった


高校生のときは一念発起して、頑張って頑張って、気を張って気を張って、クラスの大勢と仲良く(?)なることができたけれど一年もしないうちにそれに飽きてしまって、結局3年生のときは、すごく好きな女の子と、先生たちと、男の子の友人たちとうまくやって楽しい高校生活を過ごせた

お姉ちゃんも一緒に暮らしてたから、誰かにわかってもらえなくてつらいみたいな状況は全くなかったし、自分の価値観がまわりから浮いちゃって苦労しそうになると、たいてい先生かお姉ちゃんか大好きな女の子が「いい考え方だ」と認めてくれたので、小中に比べて全然生きづらくなかった

 

そう、話を戻すと、今日遊んだ友達のまきちゃんは、大学4年になってから、つまり21歳になってからできたすごくいい友達

 

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どう「いい」のかを説明するのはすごく難しいんだけれど、とにかく良い感じの関係

ちなみにまきちゃんとわたしはマヤ暦でいう「反対kin」というもので、まさにそういう感じの関係だと思う

つまり、お互いにお互いのいいところがよく見える、ないものを持ち合っている二人みたいだ

 

まきちゃんはコラージュセラピーのセラピスト
わたしはカラーセラピーのセラピスト

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誰かを肯定したり、そっと包み込んだり、そのままを愛してあげるのが上手なまきちゃん

誰かを具体的に褒めたり、ぽんと背中を押したり、ぎゅーっと抱きしめるのが上手なわたし

 

まきちゃんは大きな木のように人々を癒し、支え、守っていくひと

わたしはなんだろう?まだ見えない

 

彼女は卒業して就職するために沖縄の外へ、私は留年しちゃったのでまだ沖縄にいる
だから、今日が沖縄に住んでる者同士として遊ぶのは最後の日だった


たくさん話をして、たくさん一緒にぼーっとして、来年の今日はバリ島にいようと計画を立てて、たくさん食べて、たくさん飲んだ


車のなかでは歌をうたい、外を歩いているときは楽しすぎて走った

 

さっき、「またね」と、ぎゅーっと抱きしめて別れたんだけれど、なんていうか今とてもちょびっと寂しい


21歳になってもこんなにいい友達ができるならきっと何歳になってもいい友達ができるだろうなといういい気持ちになる
まきちゃんとはおばあちゃんになっても目に見えないものの話で盛り上がれるだろうなと、うれしい気持ちにもなる

 

今まで出会えてうれしかったひとたちの顔を思い浮かべながら、大好きだよとハグして回りたい気分


出会えてよかったなぁ~

 

まきちゃんとの縁を紡いでくれたまきちゃんのご家族や、とぽせしあに感謝の気持ちがいっぱい
すごいことだ

コラージュセラピーのひとたちにも、インドのひとにも


こんないい友達ができて嬉しい

いくつになっても友達ってできるんだねきっと


出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがと~~う!

 

そういえばリニューアルした山田珈琲、とてもオシャレで居心地よかった
沖縄国際大学近く、駐車場3台くらいあったよ!ウィンナーコーヒーもおいしそうだたな
ぜひぜひどうぞ

YAMADA COFFEE OKINAWA 山田珈琲 沖縄-上質の豆を沖縄から-コーヒー豆小売・卸売

 

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【今日の絵本】

マリー・ホール、よだじゅんいち 『わたしとあそんで』

とにかく絵がかわいく、うるさすぎず、何よりいいのはさみしくてあたたかくてうれしいお話だというところ

「ああ わたしは いま、とっても うれしいの。とびきり うれしいの。」
「なぜって、みんなが みんなが わたしとあそんでくれるんですもの。」

捕まえたり、自分のものにしたり、ずっとそばに置いておきたいと願ってやまないときは、何もかもそうならない、むしろ逃げていく

だけれど、だけれども、あきらめて力を抜いて、もうなにもいらないわと思ったら、なにもかも最初からそばにあった

そういう本当のこと、ずーっと前にこの絵本から教えてもらっていたの今日久しぶりに思い出しました

↓↓↓

わたしとあそんで (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

わたしとあそんで (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

 

 

nugeをつくってくれてありがとう


「きらいなもの、うまくいかないことって見つけやすくて、そういうものが増えていくのは簡単な人生のなかで、ひとつでも「好き」を増やせたならそれってとても素敵なことだよ」

「ひとが「そんなこと意味ない」というようなこと、みんなが捨てるものを面白がって好きになっちゃうって、そういうところからも「好き」を見つけられる幸せなこと。それってすごく愛おしいと思うんだ」


二つの言葉をもらって、まだ身体の中にあるコップの中にはいっている水がゆ~らゆ~らゆ~らゆ~らと、たぷんたぷん、ときどきこぼしながら揺れているのを感じます

透き通った魂のひとは、びっくりするくらい悪いことも、びっくりするくらいいいことも、いっぺんにできちゃう

好きも嫌いも同じとこからきたんだな、と思ったし、好きがあるから嫌いがあって、嫌いがあるから好きがあって、それはやっぱりとってもいいな、とも思う


nugeという団体をつくってくれてありがとう

すばらしくいいひとな友達をたくさんありがとう

「異性」というものがない空間もありがとう


どうしてもうまくお化粧する時間がとれず、えいやっと思ってすっぴんで行ったんだけど、すっぴんで行ったことにも意味があったみたい

そのままの自分を愛して?そんなおこがましいこと言うな

とひとは、世間は言っているように聞こえていたけれど、そんな「ひと」も「世間」もいなかった


すっぴんでも、そのまま愛されてる自分がいて、そのまま嫌われる自分がいて、そのままそこにいていいよ~ってされる自分がいた


これ、みんなそうなんだよねたぶん

開いているひとはいいね

素直って最高だね

 

実は、今のわたしの願いはこの瞬間にすべてかなっていてですね
このあとどうしたいとか全く浮かばない

「今」はね

みんなが幸せでいること、が願いだ、と思ってて

で、その幸せな図のなかで自分が幸せそうにいるのが願いだ、と思ってて

気づいたら、なんかいろいろごちゃごちゃした問題はそりゃあるんだけど、でも、みんな幸せで、自分も幸せでにこにこしていて

だから、願いはもうかなってる

ありがとうって思ってる


次のステージにもういる

次のステージは、この小さい幸せの輪を、ちっこい芽を育てて、大切にみんなと育てて、外の方で咲かせること


そのためにはもっともっと、もっともっと突き抜けないといけない


がんばっぺ


本当に、出会ってくれてありがとう、な夜でした

nugeをつくってくれてありがとう

 

nuge

https://www.facebook.com/nuge.okinawa

twitter.com

私にとっての「生きる」ということは、


人に思いを伝える

言葉、文章、写真、絵、像、踊り、歌


なんでもいい

人に思いを伝える

 

伝える前にはなかった動きがそこに生まれる

 

考えたことを発信する

誰かが読む

誰にも読まれない?

いや、このご時世やっぱり誰かしらが読む

 

読んだ誰かの中に何かが少しだけのこる

 

伝える

伝わる

伝えられる

伝わる

 

今、私が言いたいことが、今の私が言いたいことなのか、それとも目の前の相手に言わされたことなのか

その区別って、はっきりしているようで曖昧だ


今までの経験から、私の言葉がある

今まで生きてきた経験分、相手の言葉がある


私が見ているそれと、あながたみているそれ


同じものを見ているようでまるで色が違う


だから、伝える

 

伝えることの大切さを、私は人と話して思い知る

 

書いて、世に出す

歌って、世に出す

喋って、世に出す


方法は自分に合った方法でいい


でも、たぶん、きっと

出すか、出さないかはとても大切な違い

 

「生きたい世界」があるのなら、諦めてはだめだ、と思う


「生きたい世界」があるのなら、それが見えるまで、どんなペースでもいいから歩めばいいと思う


あなたが、私が、この場所に生きている理由は、その理由は簡単で、「あなた」と「私」にしか見ることのできない景色を見るためだ


それを知ってる人が今は大勢いる


知らないでも、みんな実は自分の好きなように生きている

その「好き」が意識された好きか、そうではないかの違いだけだ


引き寄せの法則は、それを願う瞬間に発動するのではなく、一瞬の絶え間もなく発動し続けてるのだと思う


でも、それとはまったく違う軸で、この星全体の動きとしての出来事も積み重なる


それが天災であったり、人災であったり「災い」とされるものなんだと思う


でもそれさえも、意味なんてなくて、ないようであって、ただただ「生きる」ことでしかそこに色をつけることはできない


誰かのせいにして自分の人生を捨ててしまうことなんか簡単で

何かのせいにして自分の生きる場所を選ばないことなんて簡単で


だからこそ、私は「生きたい世界」を追求する人に心惹かれ、心躍り、そしてそのひとたちと生きていきたいと志新に、また自分と向き合う毎日を送っているのだと思う


意味なんてない

意味なんてない


意味なんてないけど、生きている

 

生きていることに意味がある


歩き続けることに、歩きをやめることに


ただ存在することに意味がある

 

大丈夫なんだよね


全部が、失敗してもうまくいっても、最後にはうまくいくようにできてる


大丈夫と人に伝えるたび、それを思い知る


だから今日も、明日も、昨日も、明後日も


私は、だれが読んでるかわからない、目の前のひとが聞いているかもわからない、そんな話をだれかにする


だれかのなかに、何かが少し入る


その少しが、私の生きたい世界をつくる

その少しが、私を生きたい世界へと連れて行ってくれる

 

勝手にひとりぼっちになっている場合じゃないんだ

勝手に拗ねてる場合じゃないんだ

 

生きることって本当は、本当は大きい喜びなんだと思う

そこに戻っていくだけ、それを思い出していくだけなんじゃないかと、そう思う