「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「うまく言えない期」のたのしみ

どうしたらよいかわからないほどゆっくりと靄のなかで息をしている。

そんな自分が、ひとつおおきな明かりを遠くに見つけたような日だった。

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今は「言葉にできない期」にはいってる。

自分のきもちや、考えをうまく言葉にできない。

なんだかどれも本当ではない気がして、黙り込んでしまう。

ぴったりの言葉を探して、立ち止まってしまう。

だからきっといつもよりも音が響くのが嬉しい。

うまくいえないものを、音や、目に見えないものは大切に包んで誰かに届けてくれる。

 

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こんなとき、嘘のないひとの言葉はすごく強く響く。

そして、清らかに笑うひとの声がやさしく染みる。

 

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会いに来てくれた人の好きなところをそのひとに伝えることが好きだ。

写真を撮ることも、文章も、カラーセラピーもそのためにやっている。

 

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それはなんていうか、つい、してしまうこと。

「好き」のなかにいるとき、とても集中する時間。

この時間のなかで息をしていたい、できるだけ長く、できるだけひとりで。

その息継ぎのあいだ、ひとの役に立てたら、それはとても嬉しいことだ。

 

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今日はすんばらしい1日だった。

 

 

これはうまくひとに伝わらないと半ば諦めたくなるけれど、これらのような葛藤でさえ、そのような不安でさえ、とても愛おしいのだ、ということ。

やっと生まれようとしているくらいのレベルだ。

 

ながいながい時間を経て、小さかった頃の想いが実現していく。

わたしは今とても幸福だと、心から思う。

 

でも、やっぱりくたびれているのも本当だ。

そんなに「成功」しないでいい、そんなに「立派」にならなくていい。

今になって家族の言葉の意味を知る。

 

だから、今は、こんな風に毎日を積み重ねたい。

そう思う自分とやっとハグをできた時間を過ごした日だった。

 

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親子のお客さんにカラーセラピーをしたよ!【メニュー案内】

昨日は、親子でカラーセラピーを楽しんでいただきました、わたしも楽しかった!

お母さんand大学生のコンビ。

 

以前受けてくれたお客さんである学生の話を聞いて面白がってくれたお母様が受けてくださったわけです。

 

実は親子のお客さんにカラーセラピーをするのは2回目!

以前もすっごく喜んでいただけて、セラピー後も、会話を思い出して生活されてるとご連絡いただいたり、とても嬉しかった。

 

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最初に、カラーボトル(色のついたボトル)を使って自己分析を行います。

(お客さんのね)

 

どんな気質かな~とか、人付き合いのタイプはとか、今はどんな自分を目指してるかなとか。

そういうことをみます。

 

決めつけることはなく、複数ある色の解釈をお客さんに届く言葉を選んでお渡しします。

 

どのお客さんも、ご自分で選ばれた色がご自分を説明するツールに変わっていくのを楽しまれている感じ。

わたしも「わ~~当たってるー!!」ってきゃっきゃするお客さんをみてるの楽しいです。

わはは。

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そのあとはマヤ暦もみることが多いですね。

マヤ暦をみるというのは、生年月日からわかる情報をお伝えするということ。

 

ひとは誰しも生まれてきた日にヒントを込めて生まれてくるという考え方を採用して、メニューに加えています。

 

苦手なところ、得意なところ、言語化していくことで、自分にあった強みを思い出して、それがこれからの生活の楽しみに。

大きな人生の流れを見つめるために、そのひとだけのマヤ暦カレンダーを見ることもあります。

ご希望される方にはカタカムナという音に込められた意味を紐解く知識をつかって、簡単にお客さんの名前に込められている意味合いを翻訳することも。

 

みんな「そ~~だよーー!!」と驚かれるので、すごいな~と思います。

(わたしもなんで当たるのかはよくわかっていないので)

 

今回の鑑定ではカタカムナや数秘はみず、逆にマヤ暦を家族全員分みました。

親と子どもの関係、夫婦のパートナーシップ、親ー娘、兄弟の関係などいろいろなことがわかりやすく表れてて大盛り上がり。

 

なぜわかりあえないんだろう?というのも、もともと持っているエネルギーのタイプが違うだけだったり、表現のされ方が違うだけ。

根本にある愛情っていうのはおんなじもの、きらきらしていて尊いな~とそういうことを思います。

 

そして必要だから家族という枠を持っている。

そう感じる時間でした。

 

それでね、マヤを一通りみたあと、今の自分の考え事と向き合うことのできるカラーセラピーを。

 

お母さまも、学生のお客さんも、ちょっと前に考えていたこと、今感じていたこと、これからへの想いっていうのを整理され、すごくスッキリした!と言っていただけました。

 

 

色できもちがわかるなんて不思議なんだけど、それもまた表現のひとつ。

言葉と色と目に見えないけれどあるであろうエネルギーの3つを組み合わせて、お客さんの良いところや得意なところ、本当はやりたいけど我慢していることなんかを言語化する。

 

わりと悩みがあってくるお客さんはいないのも面白いところ。

もちろん、具体的な考え事をもたれているお客さんもいらっしゃるけれど、みんな根底には自分への信頼と愛があるな~と、いつも嬉しいです。

 

と、いうわけで、なんだか自分をもっと好きになる時間をお客さんにお渡しできたらいいなと思いながら、もうすぐ「学生」という肩書きが外れるような若輩者!(笑)なわたくしでございますが、やっております。

 

去年の5月末に資格をとり、その後マヤに出会ったり数秘にであったりカタカムナに出会ったり。

誕生日や名前にいっぱいのヒントが含まれているのが面白くてはじめたそれぞれが絡み合ってお客さまの役にたつ形になってきたのが最近です。

 

お時間はだいたい1時間くらい。

 

お値段は以下のようになっております。

 

<基本メニュー>

カラーセラピーのみ・・・4500円

 

マヤ暦+カラーセラピー・・・6500円

 

<他オプション>

マヤ暦(年表鑑定)

マヤ暦(他の人鑑定)

カタカムナ(姓名)

簡単ホロスコープ

・・・足される場合はいくつ足しても1万円。

 

 

わたしが学生の間、8月末までですね。

学割をします。

大学生以下のお客さまはマヤ暦+カラーセラピー4000円です。

 

お申し込みはこちらから。

お申し込み

 

どうぞよろしくお願いいたします。

m(_ _)m

 

 

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死ぬまでにやりたい100のこと

誰かに会って、そして話すこと。

自分の胸をひらいて思っていることを出すこと。

自分にとって都合のよいものにも、都合のわるいものにも同じようにひらくこと。

ただ、自然体でその場にいること。

 

そういうのを「オープンハート」というのだと思ってる。

 

オープンハートでいられる相手が限られている。

そんなの、全然問題じゃない。

 

たぶんひとりでも、人生のなかで心をひらける相手に出会えてるなら、大丈夫だ。

 

そういうことを、ときどき思う。

 

特に「自分らしさ」がわからなくなり、立ち止まるとき。

そのままのあなたでいいよ、と言われるとき。

 

ああ生きて、歩いてきて、出会えて、ここにいられて良かった、と思う。

 

それが感じられるのもやっぱり。

そうではない期間があったおかげだ。

 

昨日書いた記事を読んで、ここが好きと感想を送ってくれたひとがいた。

わたしそれがとてもなんだか照れくさかった。

 

 

死にたいと思う、生きていたくないと思う。 こんな世界くそくらえと思う、男も女も嫌いだと思う。 「母親」という存在にも「父親」という存在にも心のなかで中指を立てている。 血の繋がりも、血の繋がらない繋がりも、全部を憎んでいる自分がどこかにいる。くそくらえ - 0→1000

 

 

何が喜んでもらえるかなんてわからないから。

自分ひとりで勝手に決め込んで、勝手にひとりになって、勝手にいじける。

頭のなかでたくさんのことを考える。

 

大いに結構、なんだけれども。

なんだけれども。

 

実はそれは一歩も進んでいないと同じ。

 

失敗しても、指をさされまくっても。

それでもやっぱり、頭の中に浮かんでいる「やってみたいこと」をひとつひとつ実現したい。

 

死ぬまでにやりたいこと100、生まれてはじめてかけた。

中3で不登校やってたときは、4つしか書けなかった。

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以前も50くらいなら思いついたけど、100もかけたのははじめてのこと。

なんだか嬉しかった。

あの頃よりも、生きることをより楽しめているような気がしたから。

 

文章にするのはちょっぴり恥ずかしいから、写真で公開。

一緒にやれそうなことあったら、一緒にやろ~~。

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ちなみに今すっごくやりたいのは海ではだかで写真を撮られること。

 

そして、無料でご飯が食べれられて無料で誰でも泊まれるそんな場所をつくること。

それはまだなんかちょっと想像できないから、とりあえずゲストハウス運営になるのかな?

いろんなセクシュアリティー、年代、考え方のひとが集まって、うごいて、話せる。

そんな場作りに興味があります。おほほのほ。

 

そこが学校の寮みたいになって、で、ちかくに大きく自由な学校をつくれたらいいな、と思う。

おほほのほ。

 

死ぬまでにやりたいことリストってバケットリストっていうそう。

なんだか美味しそうだよね。

 

死ぬまでに見たい!絶景のシロクマ

死ぬまでに見たい!絶景のシロクマ

 

 

くそくらえ

さて、さっきの「プレゼント」にいれられなかった出来事があった。

 

尊敬and大好きで、何度も学びとか、きもちが斜め下にさがったあとに上がるきっかけとなったこのブログを書かれている坂爪圭吾さんにお会いできた。

なんていうか、もう包み隠さずいえば、めちゃファンで大好きで「すんげーひと」だと思ってて、あえて嬉しかったのだ。

 

だけど、そのゆんたく会のなかで「嘘っぽい」と、言うのやめようかなって迷いながらも、その言葉を届けてもらった。

 

は~~~~~ん。

と思った。

 

「嘘っぽい」の一言をきっかけに芋づるで出てくるいろいろな記憶。

「天真爛漫ぶってる」「明るいふりをしてる」「目がこわい」「人をバカにしているのを隠してる」などもろもろ。

 

久しぶりに思い出すなという記憶ばっかしですよ本当に。

 

やだわ~~と思った。

 

なんでこんなこと人に言えるんだろうすごいなと思った。

それはなんていうか、すごいことだと、感心している自分もいた。

 

で、今日も同じようなことを沖縄から移住してしまうということで会いに行った最近知り合った年上のひとにも言われた。

 

そっか、と思った。

何かこのタイミングで理解するべきことがあって、これは伝えられているんだと直感的によくわかった。

 

イライラしながら、もやもやしながら、うぇ~って思いながら、「嘘っぽい」という音と向き合う。

裸になりながら、悪態をつきながら、どろどろしているものと対峙してみる。

 

ちょっとエネルギー足りなくなっておばあちゃんに3ヶ月ぶりに電話をかけたくらいにこれはしんどい。

 

今も、またよくわからなくなってしまって、でもこれは感じ切りたくてこないだ出会った不思議な愛bonに連絡した。

 

そしたら、愛bonが坂爪さんに出会ったときのことが書かれたブログを送ってくれた。

そこに書いてある言葉に何か腑に落ちた。

 

ここと、

 

・鎧つけてない? 熱海へと向かう車内で、不意に圭吾さんがわたしに放った一言。「なにか壁を感じる」と。「あいぼん素直なときってある?」と。ドキッと刺さったその言葉は、しかしわたしを傷つけるものではなかった。自分でもわかっていたから。圭吾さんさすがだなあと思った。わたしは圭吾さんに「なんかすごいやばいひと(?)」というレッテルを貼り付け、自分と彼の間に境界線を作っていたんだと思う。 圭吾さんは《相手が何と言っているか(言葉)ではなくどんな思いで言っているか(音?)》に耳を傾けると言っていた。表面上の言葉だけでは測り得ないその奥に、その人の本音は眠っている。 この感覚を言語化するのはとても難しいのだけれど《透明で純粋だと感じるなにか(純度の高いもの)》と対峙するとき、無意識のうちに怖さを感じて、とっさに鎧をまとう自分がいるように思う。「自分が壊れてしまうのではないか」というような怖さから自分を守ろうとして、ある種の防衛本能が働くのだろうか。純度の高いものは破壊力があるから(とわたしは思っています)。でも、自分を守ろうとして身につけた鎧が結果的に「自分自身を傷つける」ことになると感じた。

進化とは今までの自分を殺すこと。 - あいぼん哲学

 

ここだ。

 

・いいこちゃんでいなくていい 「あいぼんは自分自身に対して無価値感を感じているように感じる」。グサリと刺さるようなこの一言も、わたしはすんなり納得ができた。これも自覚していたのだ。「まだまだそのまんまの自分を愛せていない」と。「愛さなければいけない(愛する必要)」ことはないのに。「価値」なんてどうでもいいのに。「価値があるから愛する」のではなく《「価値がどうだこうだとかそんなことはどうでもいいんだ」と心底腑に落ちたときに「そのまんまの自分をまるごと全部愛せている」》のだろう。 もっと嫌われていいし、場を盛り上げなくていいし、ちゃんと話を聴かなくていいし、無理やり感謝しなくていい。いいことをしようとしなくていい。自分だけを楽しませればいい。自分が楽しませたいのはいつだって自分なんだから。 「がんばってる感がすごいし相当疲れているだろうから、どっかりしっかり休みなよ」 一見冷たく映る圭吾節のシャワー(笑)は、実はめちゃめちゃあたたかい。そのときのわたしには、そして今のわたしにも、全部がありがたい言葉たち。圭吾さん本当にありがとう!!

進化とは今までの自分を殺すこと。 - あいぼん哲学

 

「循環の輪から外れちゃってる気がするんだよね」

たしかに坂爪さんはそう言ってくれてた。

 

そう、だ。

 

なんであのときみんなの前で言うのやだなって思ったかというと、そこはもう終わったことにしている設定だったからだ。

(それもみんなに言っちゃった気がするけど)

 

わたしはなんていうか。

 

なんていうか。

 

うーん・・・・・・・・・・・。

 

坂爪さんあと何言ってくれてたっけ。

「なんか気持ち悪いな~」だ。

 

それは、わたしのなかに嘘があったから、だろうと思う。

 

 

ああもうやだなぁ。

やなんだもん。

 

わたしは、なんていうか、もうそこは終わったことにしたい、と思ってたところがあった。

 

本当は、

 

 

ここまで書いて、今、先輩からこう言われた。

 

「はるなは「生きる」その姿でたくさん周りの人にはるなしか与えられないものプレゼントしてると思うな。私もはるなの「生きる」姿にたくさんもらったものあるよ。言わないけど。だからさー、そのまま「生きて」てよ。」

「はるなの、いろんな人におごってもらえたり助けられたりとかって別に才能じゃないかも、はるなの「生きる」姿からもらったたくさんの物を、たくさんの人が形として返しているだけじゃないかなぁと書いてて思った。「才能」って言葉のほうがかっこいいけどね。」

 

 

ずっとでなかった涙がば~~って出た。

 

 

こわい、と思っている。

愛され始めている自分にびびっている。

そして、ひとを思うように愛せない自分とどう付き合えばいいかわからなくて戸惑っている。

 

わたし「なんか」を愛してくれるひとに何かを返さなきゃ。

 

そういうことだった。

 

わたし「なんか」だった。

 

 

今、ひとから「生きて」と言われただけで、こんなに溢れてくる涙は、あの日、あのときに「死にたい」と言った自分を癒す。

 

もう終わったことにしたかった。

そのほうがいっぱいのひとの役に立てる気がしたから。

 

死にたくて、寂しくて、そういう自分は嫌だった。

そこを思い出すと、またお仕事でおおきな失敗をして、もっと嫌いな自分になりそうで嫌だった。

 

もう、自分のそういう空っぽなところを人に見せて、そこを「愛そう」としてくれる男の人と会いたくなかった。

そのひとたちを「男の人」として求めていないことをうまく表せなかった。

だから、心だけじゃなく、身体も傷ついた。

 

わたしは病気じゃないし、強いし、未来に向かって歩いて今を生きていて、だから「大丈夫だ」ということにしたかった。

この世に存在している理由があるのだと、あの日言われた言葉に、大きく自分の方に伸びた影に向かって叫んでいた。

 

もういつまでもそこにいるなと諭してくれた新しくできた家族に顔向けできる自分でいたかった。

 

 

うーん。

そう、だから、結局は人生のぱいせんである愛bonが言ってるこの言葉がそのままそうなんだ。

 

「あいぼんは自分自身に対して無価値感を感じているように感じる」。グサリと刺さるようなこの一言も、わたしはすんなり納得ができた。これも自覚していたのだ。「まだまだそのまんまの自分を愛せていない」と。「愛さなければいけない(愛する必要)」ことはないのに。「価値」なんてどうでもいいのに。「価値があるから愛する」のではなく《「価値がどうだこうだとかそんなことはどうでもいいんだ」と心底腑に落ちたときに「そのまんまの自分をまるごと全部愛せている」》のだろう。

進化とは今までの自分を殺すこと。 - あいぼん哲学

 

ひとの言葉を借りて自分のきもちを説明するなんて、最高にださいけど。

そういう気持ちだ。

 

死にたいと思う、生きていたくないと思う。

こんな世界くそくらえと思う、男も女も嫌いだと思う。

「母親」という存在にも「父親」という存在にも心のなかで中指を立てている。

血の繋がりも、血の繋がらない繋がりも、全部を憎んでいる自分がどこかにいる。

 

 

だけど、そんな世界で生きていくために、わたし「なんか」が必要だった。

 

なんだろう。

うまくいえないけど、そうだった。

 

だけど、ここ最近の出来事や、お仕事や、出会うひとたちのおかげで、ああおそらくわたしの0~20歳までの間の人生の意味はそこにあったんだろうなと思うことがよくあった。

 

別に被害者ぶるわけでもなく、ただ淡々とそう思った。

 

まださー、気づいたからといって、嘘を一瞬でなくせるわけでも、自分「なんか」をどうするかもぜ~んぜんわからないんだけど。

だけど、このわたしのまんま、今の日高春奈のまんまで、生きようと思う。

 

そのまま。

そのまま裸のままで。

 

そのままで今できることをしよう、そして、できないことを喜ぼう。

ひとに助けてもらう自分を責めずに歩こう。

 

なんていうか、もう、無理に言葉にすることも、無理に在るのもやめよう。

 

 

うまくいえないんだけど、わいてくるありがとうは、本当のありがとうだと、たぶん思う。

坂爪さんのゆんたく会のあと、帰りの車のなかで送ってくれたゆる猫サロンのえくちゃんが「坂爪さんに爪痕をのこされたね笑」と言ってたのを今思い出した。

 

 

憎しみと同じ量だけ、わたしのなかには愛がある。

 

それを、それは嘘じゃない。

 

わかったふりもしない、わからないふりもしない。

まっすぐ生きよう。

 

もう、わたし「なんか」をやめよう。

ほいで、たいしたことないやつでもいいやを始め、すごいやつだを始めるよ。

 

すぐにはやめられないかもしれんけど、でも、たぶん明日から何かが変わるんだろうなぁと、そういうことを思った。

 

坂爪さん、愛ぼん、ありがとうって思った。

出会いをつくってくれたいろんな偶然にもいろいろ思った。

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ひとの優しさを食べて生きている。(部屋あいてるよという言葉、海辺でランチ、ブログへの出資、海を越えて届いた折り鶴)

ここ数日間、ひとからたくさんのプレゼントをいただく日々が続いている。

びっくりするくらいの内容ばかりだ。

順位もつけられないくらいどれも嬉しかったから、順番に書き残してみる。

 

まず、今週の最初のほうで、いつもお家で夜ご飯を一緒にいただいたり、ほぼ2歳の息子っちと遊ばせてもらっている先輩が言ってくれたこと。

 

お金がなくなっても大丈夫だよ。

住むところもあるし、食べるものもあるよ。

 

と、言ってくれた。

前にも、部屋ひと部屋あいてるから、住むとこなくなったらくればいいよ~と言ってくれて、それがとんでもなく嬉しかった。

晩御飯も、食べさせてあげるから大丈夫、と。

 

嬉しくて、なんだかあったかく、そしてその言葉に全くの嘘も気遣いもなかったので、改めて言ってくれた先輩のことを尊敬した。

 

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先輩というよりも、年の離れている友だちという感じの美しいひと。

朝日を見ながら海で泳ぎたいって言ったら朝の5時に迎えにきて一緒に泳いでくれる素敵なひと。

 

次に起きた出来事は、水曜日だった。

後輩の男の子と会いたいね~と言っていて、そしたら「ランチいきましょう」ということになった。

 

正直にいって、6月はあまり上手に働けなかったのか、お財布のなかはすでに空っぽで、かつ口座も・・・であったので、正直に話して延期してもらおうと思った。

正直に話した。

 

「ご馳走しますよ~」と返ってきて、彼の運転で海沿いの素敵なカフェでお昼を食べた。

 

「あえてよかった~」と言ってくれたうえに、なんていうかわたしの持っている不安まで言語化してくれて、なんかすげーやつだなと思った。

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彼はやっぱりなんかすげーやつだなと思う。

目に見えないものを素で感じて、そして着飾らずに真剣にひとのためについ身体を動かしてしまうやつだ。

 

尊敬してる。

 

そして、ビッグな出来事が起きたのは、その日だった。

もうびっくりした。

 

なんていうか、このブログの有料版モードがお金払えなくて無料版になっちったのだ。

無料版になると一気にアクセスはこうなる。

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ち~ん。

別にそんなに広告収入があるわけでもなくアマゾンアソシエイトも繁盛してるわけでもない。

でもちょっと発生している収益がわたしは愛おしくて。

なぜなら、こんなに自分の考え事を書いているブログを誰かが読んでくれて、そして誰かが「いいね」と思って紹介してる本を買ってくれる。

それってなんかすごいすごいすごい嬉しい。

 

だから、実はちょびっと悲しかった。

そっか~って思いながら、上にはりつけた画像の画面をながめてた。

 

そしたら、数時間後に、金城辰一郎さんという方から連絡がはいった。

 

びっくりだよ!びっくり!

生きててこんなに驚いたことないんじゃないかってぐらいびっくりした。

 

「ひだかさん、おつかれさま!facebookの投稿みたんだけど、お金は貸すからブログproに戻しなよ!返すのはいつでもいいので!というか返さなくていいのでw

 口座教えてくれたらすぐに振り込むからさ!いきなりでなんかあれだけど全然気にしなくていいので、ぜひ!笑 自分がブログをおすすめしている一人でもあるし、どうなるか楽しみっていのが理由だから!」

(全文ママ)

 

びっくりでしょ。

もうびっくりだよ~。

 

ブログに書いてもいいですかって聞いたら、どっちでもいいよ~wと言ってくれたので書いた。

 

もうほっんとに嬉しかった。

 

雑記ブログというか、ちゃんとまとめてなくて、ただただ「1000記事書く」というために書いているブログ。

生産性のないというか、アクセスもときたますごくあがるけど。

そのブログの先を面白がって見てくれてるひとがいるのかと、なんだかすごくびっくりしたし、わたしはこういう大人になろうと、いっぱいお金を回せるようになったらいっぱい年下のひとにお金を渡そうとそう思った。

 

ちなみに金城さんの生き方はかっちょいいんだよ〜〜〜

この記事ほっんとにすばらしいからぜひ読んで欲しい、勇気でる。

shinkinjo.com

 

そして、それで終わらない。

その日に熊本県で震災に関連するボランティアをしてる後輩からお手紙が届いた。

(ちなみに、そこで閾値に達し、1時間くらいなんかずっと勝手に涙がながれてた。)

 

なかには折り鶴と、お手紙がはいってた。(もうひとついいものが入ってたけどこれは内緒!)

彼は、代読サービスのお客さん第一号。

(代読サービスは、本を代わりに読んでレジュメをつくるサービス)

 

なんていうか、もう、その折り鶴のストーリーとかもすんばらしくて、涙がもうとまらんかった。

 

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なんていうんだろう。

長々とね、書いたのは、自慢したかったからじゃない。

 

なんていうか、やっぱり「ありがとう」なんだろうなぁと思うわけ。

生きててよかったってこれらの出来事はわたしに思わせてくれたし、こういう「幸運」に出会うと生かされている感覚をやっぱり持つ。

 

なんていうか、なんていうか。

たぶん、少しだけ顔を上げてみれば、ひとのまわりには、誰の周りにもこういうことで溢れてるのかもしれん、とも思った。

 

でも、それはわからないので、確かめようがないので詳しく書かないでおく。

 

とにかく、わたしは一人では生きられないし、生かされていて、そしてこんなにたくさんのプレゼントを毎日もらって過ごしている。

 

わたしも、わたしも早くひとに何かをあげたい。

両腕に抱えきれないくらいのこのきもちを何かでラッピングして、たくさんのひとに配りたい。

 

でも、今はまだその方法がわからないから、ただただこの目に見えないこの世の優しさのようなもののなかを泳いでいたい。

 

そういうことを思っていて、本当はもっとカッコよくそれをひとに伝えたいけど、今のわたしはこういう書き方しかできないから、このきもちをちょっとだけ表現した。

 

本当に本当にありがとう。

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